8月6日から夏の甲子園が始まった。今年も地方大会を勝ち抜いてきた49校の選手たちが甲子園の舞台で、素晴らしいプレーを見せてくれている。そんな甲子園は全試合テレビで放送されており、実況アナウンサーによる数々の名言が生まれている。
今回は、連載『仕事にも人生にも生かしたい! シチュエーション別・野球人の名言』のスピンオフ企画として、実生活でも思い起こしたい時がきっとある、甲子園で生まれた名言、名実況をお届けしたい。
とんでもなくすごい人──学校や職場、趣味の仲間内にいる友人・知人でそういった人がいないだろうか。もしかしたら、強烈な嫉妬心が芽生えているかもしれない。そんなときに思い出すのがこの実況だ。
「甲子園は清原のためにあるのか」
1985年夏の甲子園決勝。PL学園対宇部商の試合で清原和博(PL学園、元西武ほか)がこの試合2本目、大会では5本目となる本塁打を放ったときに生まれた名セリフである(実況は朝日放送・植草貞夫アナウンサー)。
まさに怪物。強豪PL学園において1年時から4番に座り、甲子園通算13本塁打を記録。30年以上経った今でもこの「13」という数字は破られていない。甲子園においての清原は嫉妬することすらもためらわれる、別次元の存在だった。
実生活においても、清原ほど別格ではなくても「図抜けた人物」は周囲に存在する。別次元の人物を前に、自分がかなわないなと感じたとき、この実況を思い出し、「あー、こういう存在なんだ」と思うことで醜い嫉妬心は生まれない、はずだ…。
故郷を離れ、親元を離れ、もしくは出張などなんでもいい。いつもと違う場所で苦しいとき、つらいときに思い返したい実況がある。
早稲田実と駒大苫小牧が死闘を演じた決勝戦で有名な2006年夏の甲子園。その大会の3回戦では、八重山商工(沖縄)と智辯和歌山(和歌山)が対戦。試八重山商工のエース大嶺祐太(ロッテ)が、ピンチの場面でふと空を見上げた。
その一瞬の間。そこで解き放たれたのがこのセリフだ。
「空を見上げました。沖縄の空にももちろんつながっています」
プレー自体とは直接関係のない実況である。それでも妙に心を惹きつける。地元から離れ甲子園という大舞台でブレーし、そこで窮地に立たされた。そんなとき、ふと故郷を思い出すのではないだろうか。実況アナウンサーのそんな思いが読み取れる。
人間とは繊細でいて単純な生き物でもある。苦しくなったとき、生まれ故郷にもつながっている空を見上げることで、きっと心が軽くなるはずだ。
世の中には「諦めていることを表に出してはいけないけど、現実的には厳しいよな」ということがたくさんある。会社で求められる目標数字、学校で課される膨大な量の課題。8月31日に残っている夏休みの宿題なんかもそうかもしれない。
そんなとき思い浮かべてほしいのがこの実況だ。
「ありうる、最も可能性の小さいそんなシーンが現実でーす」
2007年夏の甲子園決勝。佐賀北が広陵を下した試合だ。下馬評では圧倒的に広陵有利だった。それもそのはず。エース・野村祐輔(広島)、捕手・小林誠司(巨人)のバッテリーに加え、上本崇司(広島)、土生翔平(元広島)と未来のプロ野球選手が4人も在籍していたのである。
試合展開も下馬評通りだった。8回表を終えた時点で広陵が4対0と4点のリード。7回まで1安打ピッチングの好投を続けていた野村が崩れる可能性はありえない、そう思わせてくれるような投球だった。
しかし、野村は8回押し出しで1点を失った直後に満塁弾を浴び逆転を許してしまう。その満塁本塁打が飛び出した直後の実況である。
可能性が「0」に等しくてもどれだけ小さくても、諦めなければなにかが起きるかもしれない、ことを佐賀北は見せてくれた。
困難であろうことに立ち向かうとき、ぜひ思い出してほしいセリフだ。諦めたらそこで試合終了なのである。
文=勝田聡(かつた・さとし)