今回、シーズン2本目のランニング弾で話題になった茂木だが、歴史をさかのぼればもっとすごい記録がある。それが、杉山悟(元中日)と並び、史上最多となる生涯5本のランニング本塁打を記録した木塚忠助(元南海ほか)だ。
盗塁王4回、NPB歴代4位となる通算479盗塁を誇り、「イダ天」と称された木塚。そんな男が1954年8月に記録したのが、「1カ月で2本のランニング本塁打」。並外れた脚力があったからこそ実現できた記録だった。
往年の野球ファンに印象的なランニング本塁打を聞くと、決まって話題になるのが「黒い弾丸」と呼ばれたウィリー・デービスが中日時代に決めた満塁ランニング本塁打だ。
当時37歳という年齢にもかかわらず、メジャー盗塁王2回という俊足ぶりを発揮。ただ、その脚の速さ以上に、デービスのあまりに大きなストライドが衝撃的で、「宇宙人のようだった」と語るファンもいる。
近年、印象深い満塁ランニング弾といえば、1999年8月20日、当時ダイエーの小久保裕紀が放った、史上7人目の満塁ランニング本塁打だろう。この試合では秋山幸二も同じイニングに満塁弾を放っており、まさかのアベック満塁弾となった。
2007年10月9日、ヤクルトで一時代を築いた古田敦也の引退試合。その試合でファンを驚かせたのが、アーロン・ガイエルの「魔空間ランニング本塁打」だ。
打率は2割台なのになぜか出塁率は4割。平凡なフライでもなぜかエラーで出塁。普通に勝負しているのになぜかストライクが入らない…など、といった具合に不思議な現象を数多く誘発。ストライクゾーンを歪めている、打球の軌道を歪曲させて落球を誘っていると、「魔空間」なるフレーズまで生まれたのがガイエルだった。
で、古田引退試合に話は戻る。ガイエルが放った打球はショート後方への平凡なフライ。ところが、この打球をショートとレフトが交錯。打球が無人の外野を転がる間、ガイエルは一気にホームへと駆け込み、「魔空間ランニング本塁打」が成立。古田の引退に華を添えた。
1902年、アメリカ・マイナーリーグでの出来事。ミネアポリス対セントポールの一戦は大雨のなかで行われ、グラウンドはぬかるんでいた。そして、ミネアポリスのアンディ・オイラーの打席で事件は起きた。
雨で滑ったのか、ピッチャーの投げた球はオイラーへ。このとき、よけたバットに投球が当たり打球は投手と捕手の間に転がるゴロとなった。慌てて一塁へ走るオイラー。ところが、一塁への送球はなく、それどころか、セントポール野手陣が必死に探してもボールは見つからなかった。
この間、オイラーはダイヤモンドを一周し、ホームイン。ランニング本塁打が成立した。
実は雨でぬかるんだグラウンドに転がった打球は、泥にまみれて埋まってしまい、見つけることができなかったのだ。発見場所はホームベースのすぐ手前。推定飛距離50センチという、史上最短飛距離の本塁打が生まれた瞬間だった。
ランニング本塁打と聞いて、2007年、イチローがオールスターゲーム史上唯一となるランニング本塁打を放ち、MVPに選ばれたことを思い出すファンは多いはず。あの一打が印象深いのは、なんといってもオールスターという滅多にない舞台で放った本塁打であるからだろう。
同様に、これ以上ない大舞台でランニング弾を放った人物がいる。「ミスター・プロ野球」長嶋茂雄だ。長嶋が巨人に入団したルーキーイヤーの1958年、日本シリーズ第7戦の最終打席というこれ以上ない場面。しかも、相手ピッチャーは西鉄のエース、稲尾和久だ。
0対6という大劣勢でありながら長嶋がランニング本塁打で一矢報い、1点をもぎとったのだ。まったく末恐ろしい新人としかいいようがない。
さて、話題を今年の新人、茂木栄五郎に戻そう。日本では過去、1シーズン3本のランニング本塁打を決めた選手はいないだけに、残り試合は少ないとはいえ、新記録達成の期待がかかっている。
また、上述したように、ランニング本塁打の通算記録は木塚忠助と杉山悟の5本。茂木は新人にして、この偉大な記録にあと3本と迫っているのだ。気合いを込めて放つ一撃で、ぜひとも輝かしい未来を切り拓いてもらいたい。
文=オグマナオト