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file#015 高木京介(投手・巨人)の場合

今回からいろいろな『野球太郎』ライターの方々に代わる代わる、注目選手のアマチュア時代を紹介していただく形式に変わりました。今まで担当していただいたキビタキビオさんも今後、再び登場いたします。
新体制、記念すべき一回目は「東都なら任せてください!」という山田沙希子さんに書いていただきました!


◎期待を裏切ってくれたプロ1年目

 高木京介が、これほどまでの活躍を見せてくれるとは正直、想像もしていなかった。
 オープン戦からしっかり中継ぎとして結果を残し、開幕1軍の座を勝ち取った。その後、一旦ファーム行きとなるが、戻ってきてからの活躍が目覚ましかった。
 1年目にして初勝利、初ホールド、初セーブを挙げ、日本シリーズでは勝ち投手にもなった。34試合の全てがリリーフ登板で、29試合連続無失点。セ・リーグ新人の連続無失点記録も大きく更新し、球団記録さえも樹立した。
 ポストシーズンでも失点することはなくシーズンを終えたため、6月26日の広島戦を最後に高木は誰一人もホームにランナーを還していないことになる。
 大学時代の彼は突出して目立っていたわけでも、注目されていたわけでもなかった。ましてや層の厚い巨人のリリーフ陣にありながら出場機会を得、これほどまでに安定した成績を出せるなど、予想もしていなかった。

◎ゴジラ2世が歩んだのは投手の道

 母校の大先輩になぞらえて「ゴジラ2世」の異名を持っていた高木京介。星稜高では1年秋からエースで4番を任され、3年夏には甲子園に出場した。
 投打にわたって才能を持ち合わせていた彼が選んだ道は、國學院大學への進学。公式戦ではDH制を採用している東都大学リーグに属しているチームだった。入学当初はどちらかに専念することはなかったが、1年秋から投手としてリーグ戦に出場。それ以降の出場機会は全てがピッチャーとしてである。

 いかつい風貌でありながら、言葉を交わすと繊細な印象を受ける。自分の発することをひとつひとつ、ボリュームは小さいけれど、確かに自分の言葉で表現していた印象がある。
 だが、マウンドに上がれば気合いに溢れた姿に目を奪われる。気迫を前面に押し出すスタイルで、下級生時から國學院大のエースを務めていた。

 高木の持ち味といえば抜群の制球力。3年春には、開幕から25イニングス連続無四球ということもあったほど、めったなことでは四球を出さなかった。
 豪快なフォームから繰り出される力強い速球、大きく縦に割れるカーブとのコンビネーションが持ち味。この緩いカーブがストライクゾーンに行けば調子がいいという、その日の状態の良し悪しを測るバロメーターでもあった。
 このカーブはプロでも大きな武器となっている。




◎不運のエース

 不運、悲運…。高木の大学時代を思い返すと、失礼ながらこういった言葉を引き離すことはできない。
 2年時から主力として活躍を見せていたが、白星を挙げている印象が少ない。どちらかといえば好投しても0-1、0-2で敗れる試合ばかりが多いように思う。高木は1戦目を任されていたから、当然相手チームもエースで臨む。たやすく点を奪えないことは想像に難くない。
 相手エースとの息詰まる投手戦も、突然2アウトから連打を浴びてホームを許す。そしてそれが決勝点となり、敗戦。ちょっとしたスキを突かれて1点を献上してしまう試合が数多く見られた。
 その一方で、味方の援護が多かった試合では、まったくの別人になったように失点を重ねる。
 本当にかみ合わない試合ばかりだった。
 だから防御率がそれほどまで悪くなくても、勝ち星より黒星が上回ってしまっていた。大学通算成績でも大きく負け越している。
 また、高木の最たる『悲運のエース』エピソードは、3年秋のシーズンにさかのぼる。
 
 このシーズンも、いつものようにエースとして開幕戦にも先発し、1戦目のマウンドに立っていた。だが3カード目からは高木がグラウンドに立つことはなかった。理由は左ヒジ故障のため。
 そして國學院大は、このシーズンで初のリーグ優勝をもぎ取る。グラウンドで歓喜に沸く選手たちの輪に、高木の姿はなかった。
 その後に行われた全国大会である明治神宮大会でも登板することはなかった。
 順位の入れ替わりが激しいリーグにおいて、高木はエースとしてチームを1部に留めるために大きく貢献してきた。それなのに優勝の瞬間に制服姿でスタンドからその光景を目にすることになるとは、不運としか言いようがない。
 こうして高校3年生以来となる全国の舞台に立つことなく、大学3年目のシーズンを終えた。

◎エースとしての姿を後輩に

 大学ラストシーズンは2部で迎えた。それは春に2部へ降格したためで、高木が國學院のユニホームを着て全国大会に出場することが不可能になったことを意味している。
 リーグ戦も終盤戦に入ったある試合後、高木に話を訊いた。この日は無四球完封ペースだったのだが、最終回に完封はおろか同点のピンチを招いて降板した。8回まで毎回奪三振も記録していたが、それも途絶えた。リリーフした同期の投手がきっちりと抑えて試合には勝利。この日の投球を高木は「70点」と評した。そして続けた。

「完封できたら100点に近かったんですけど」。

 100点に近い――。完封できても足りないものがあるのだろうか。すると高木はこう教えてくれた。
「いいピッチングができても、まだまだベストピッチングができると思いたいんです。だから100点はつけたくない。もう優勝はないですけど、今はエースとしてやらせてもらっているので、下の投手たちにエースの姿を見せられればいいなと思います」
 彼の口から初めて「エース」という言葉が聞かれた瞬間だった。



◎2年目の活躍に向けて

 大学時代の高木は、決してずば抜けた力を持っていたとは言えない。数字だけを見れば、大して勝ち星も挙げてない、全国の舞台にも立っていない投手と見ることもできる。ケガもあり、順風満帆な4年間ではなかったかもしれない。だから余計に、昨年の活躍ぶりはより嬉しく感じる。
 プロ1年目の結果に満足することなく、それは過去のものだと自分の中で区切りをつけているはずだ。
 真価が問われる2年目のシーズン。今年は期待通りの活躍を見せてもらいたい。


文=山田沙希子(やまだ・さきこ)/早い時期から東都大学の魅力にハマり、大学生時は平日の多くは神宮球場または神宮第二球場で過ごす。多くの東都プレイヤーの取材を通して、さらに東都愛は加速。昨年のドラフトで國學院大主将・谷内亮太が指名されるようにアピールした結果かどうかは定かではないが、ヤクルトから指名を受けホッとしている。TOHKEN〜東都大学リーグ野球観戦研究会〜でも活躍。

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