平成のトレード史を振り返る本連載「プロ野球・近年のトレード模様を探る!」。3回目となる今回は近年の主な“複数回トレード経験者”をピックアップしてみたい。彼らはなぜ、その力を請われたのか?
■2010年11月
嶋村一輝との1対2のトレードで野中信吾とともに横浜(現DeNA)からオリックスへ
■2014年11月
白仁田寛和とのトレードでオリックスから阪神へ
2017年、31歳になるシーズンにブレイクを果たし、今や阪神の不動のセットアッパーになっている桑原も2度のトレード経験者。
2007年に大社ドラフト3巡目で奈良産業大(現奈良学園大)から横浜に入団。1年目から30登板を果たしたが、どんどん登板数は尻すぼみになっていった。その最大の理由は制球難だ。
しかし、阪神でブレイクするまで息をつなげられたのは、持ち前のスライダーがあったから。今は語るまでもないが、横浜、オリックス時代もキレは抜群。「コントロールさえあればなぁ」と思わせる最大の武器だった。一芸を持ちながらも開花せず引退する選手も多いなか、他球団に「ウチなら育てられる!」と思わせた桑原の勝ちだ。
■2010年12月
金銭トレードで楽天からDeNAに移籍
■2013年7月
長田秀一郎とのトレードでDeNAから西武に移籍
■2017年11月
西武から戦力外通告後に楽天に復帰
2018年、楽天に復帰した渡辺直人も2度のトレードを経て「おかえり」。2010年の最初のトレードは、アメリカから日本球界に戻ってきた松井稼頭央と岩村明憲の加入があったが故の玉突き的な要素が強く、楽天ファンを戸惑わせた。そんな渡辺の魅力といえば、やはり守備と仕事をこなせるバットだろう。
平均値を見ると打率こそ2割台中盤だが、出塁率は3割5分前後が期待でき、非常に安定感のある選手。楽天時代は4年で97盗塁の足もあった。
プロ入りが26歳と遅く、楽天時代から「世代交代」のチーム方針との戦いを余儀なくされてきたが、結局、最後に頼りになるのは仕事のできるいぶし銀。渋さで球界を渡り歩いている。
■2008年6月
小池正晃とのトレードで中日から横浜へ
■2010年4月
江尻慎太郎とのトレードで日本ハムへ
昨季限りで引退した「サイレントK」も2度のトレードを経験。石井に限らず、左投手はトレード市場での需要が非常に高い。2000年以降は他にも以下の投手らが複数回のトレードを経験している。
江草仁貴(阪神→西武→広島)
山本省吾(近鉄→オリックス→横浜→ソフトバンク)
高宮和也(横浜→オリックス→阪神)
吉野誠(阪神→オリックス→ソフトバンク)
(※山本省吾のオリックス移籍は球団合併に伴う分配ドラフトによるもの)
(※高宮和也の阪神移籍は平野恵一のFA移籍の補償によるもの)
■2007年5月
山田真介とのトレードで阪神から広島へ
■2010年5月
迎祐一郎(+金銭)との1対2トレードで長谷川昌幸とともに広島からオリックスへ
■2010年12月
寺原隼人、高宮和也との2対2トレードで山本省吾とともにオリックスから横浜へ
3回ものトレードに名を連ねたのは、「キダゴ」こと喜田剛。おそらく実績以上に知名度が高い選手。その理由は「未完の大砲」だったからだ。
阪神時代の2005年には2軍で打率.303、21本塁打を記録し、2006年も打率.278、14本塁打。しっかりと2軍レベルでは結果を残し、広島時代にはレギュラーまであと一歩に迫った。
オリックスも横浜も当時は打力に悩んでおり、「期待感」で喜田を買った形。残念ながら開花はならなかったが、ファンの心にはその名前が刻まれたはずだ。
ちなみに喜田剛とのトレードに絡んだ選手は、先述の高宮和也、寺原隼人(ダイエー→横浜→オリックス→ソフトバンク→ヤクルト)、山田真介(巨人→広島→阪神)と複数回トレードの経験者が多い。一度トレードされれば「外様」。球団も躊躇がなくなるということだろうか。
文=落合初春(おちあい・もとはる)