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【イチローとケガ】DLリスト入りは過去何回? 鉄人・イチローのこれまでのケガ歴まとめ


 イチロー(マーリンズ)が2月21日(日本時間22日)、スプリングトレーニングの守備練習中に味方選手と交錯し、右足と腰を負傷した。

 故障の状態も気になるところだが、チームメートは心配するどころか「イチローがトレーナー室に行くぞ!」と大興奮。「トレーナー室にいるイチロー」と記念撮影をし、治療に使った手袋を記念に持ち帰る選手まで現れたそうだ。

 イチローといえば、卓越したコンディショニングで肉体を保ち続けてきた。現地メディアによると、メジャー16年間でトレーナー室に行った回数はわずか1回。今回が初めての珍事だった。

 大盛り上がりの中心であった同僚のマーティン・プラドは地元紙に「治療で使われた器具は全部クーパーズ・タウン(アメリカ野球殿堂)行きだ」とジョークを飛ばしている。大事には至らなかったが、それほどのレアケースだったのだ。

 しかし、イチローといえど、ケガの経験がまったくなかったわけではない。あらためてイチローの“ケガ列伝”を振り返ってみよう。

たった一度のDL入りの理由は?


 メジャー16年間で1度だけ、DLリスト(故障者リスト)入りしたのはマリナーズ時代の2009年春。オープン戦を3試合連続で欠場し、球団は「緊急精密検査中」とリリースした。

 しかし、検査の結果はケガではなく胃潰瘍。同年は2009WBCが開催されており、春先から韓国との死闘など胃が痛くなる戦いの連続だった。

 開幕からDLリスト入りしてしまったが、「16年間でたった一度のDL入りの理由が胃潰瘍」という選手はほかにはいないだろう。


DL入りした年にはふくらはぎも負傷!


 同じく2009年の8月、ついにイチローがケガをした。左ふくらはぎの張りにより、スタメンを外れ、別メニューで調整したのだ。

 しかし、この際はDLリストには入らずに8試合休養して復帰。当時は「イチローもそろそろトシか……」と言われたが、まさか2017年までニュースになるほど、故障をしないでやってくるとは、誰も想像しなかっただろう。

日本時代には大ケガも


 オリックス時代には大きなケガも2回経験している。1度目は1999年8月のこと。そこまで1994年から763試合連続出場を続けていたが、下柳剛(当時日本ハム)から右手に死球を受けて、残りのシーズンを欠場。当初は打撲と診断されていたが、精密検査の結果、骨折が判明した。

 翌2000年も8月に右脇腹を痛めて戦線離脱。最終戦まで欠場している。

 しかし、どちらの年もすごいのは結局首位打者を獲得していること。2009年の負傷もそうだったが、未だに前半戦に穴を開けたことはないのだ。


高校時代は交通事故


 イチローが高校3年時に交通事故に遭った話も有名だ。3年春にエースとして甲子園に出場し、プロスカウトも大勢訪れる存在だったが、交通事故でふくらはぎを負傷してしまう。

 その影響でイチローはイップスに陥り、「投手」としてイチローを評価していた球団が次々と手を引いた。その結果、「野手・イチロー」を評価していたオリックスがドラフト4位で獲得することになったといわれている。

 現在の大打者・イチローの姿を見ていると、ある意味ではオリックスや日本球界にとっては「ケガの功名」だったのかもしれない。


 イチローはケガの後がすごい。2000年はNPB歴代2位の打率.387を記録。2001年はメジャー1年目から多くのタイトルに輝く大活躍。2010年もフル試合出場を果たしている。

 今季は春先から不運なスタートになってしまったが、イチローは必ず蘇る。今季も期待大だ。


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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