東京大野球部の連敗記録が話題になっている。5月25日の法政大との試合も3-9で敗れ、今春のリーグ戦も全敗。76連敗となり、ワースト記録をまた伸ばしてしまった。
かつては幾多の番狂わせを演じてきた東京大野球部。1980年代は「赤門旋風」とよばれる快進撃をみせた時代もあった。しかしそれ以降、他大学との差が顕著になり、ほとんどのシーズンを6位で終わるようになった。
そして、より積み重なるようになってしまった連敗。1987(昭和62)年秋の開幕2戦目から1990(平成2)年秋のシーズン終了には70連敗を記録。さらに2005(平成17)年秋から2007(平成19)年秋には48連敗。2008(平成20)年秋から2010(平成22)年秋には35連敗。そして2010(平成22)年秋から現在に至る76連敗である。
今回の「クローズアップ得点圏内」のコーナーでは、1980年代以降、連敗が続く東京大野球部には、どのような選手がいて、どんな活躍をみせていたのかを振り返ってみたい。
東京大の貴重な勝ち星は、やはりエースたちの活躍によるものが大きい。「野球は投手力」という言葉は、いつの時代でもあてはまる。味方が1点しか取れなくても、相手を0点に抑える好投手がいれば、チームの連敗は止まるのだ。
1980年代の「赤門旋風」の原動力となったのは、1981(昭和56)年春のシーズンだけで5勝をマークした大山雄司だ。当時は小早川毅彦(元広島ほか)、西田真二(元広島)、木戸克彦(元阪神)らが在籍していた法政大と開幕戦で対戦した東京大は、大山の好投により6-2で勝利。「今季の東大はひと味違う」という戦いぶりで、早稲田大戦では大山が1-0で、続く2回戦は左腕・国友充範が2-0で、と連続完封勝利を記録。さらに慶應義塾大戦でも大山が力投を見せて連勝。早稲田大と慶應義塾大の両校から揃って勝ち点をマークしたのだった。
また、現在、NHKのニュース番組『news Watch 9』のキャスターを務めている大越健介は、1982(昭和57)年の新人戦で好投。東京大を決勝戦に導くなど活躍し、1983(昭和58)年には東京大野球部史上初となる日米大学野球選手権大会の代表メンバーに選出された。
当時の東京大は好投手たちの“奮投”で、最下位になったシーズンでも必ず勝ち星を挙げており、2シーズン連続で最下位になったことはなかった。
1990年代は2人の好投手が東京大野球部を牽引した。1992(平成4)年から1995(平成7)年まで在籍したサイドスローの高橋崇展は通算7勝を記録。高橋と入れ替わる形で、1996(平成8)年から1999(平成11)年に活躍したのは、東大出身として4人目のプロ野球選手となった遠藤良平だ。遠藤は1990年代最多勝となる8勝をマーク。1年秋から活躍し、6シーズン連続で勝ち星を挙げている。卒業後は日本ハムにドラフト7位で入団した。
2000年代初頭には、こちらもプロ入りした松家卓弘がいた。通算3勝を挙げ、その中の1勝は4年秋に明治大から奪った37年ぶりの完封勝利である。その後、横浜(現DeNA)からドラフト9巡目で指名され、入団した。
次は野手に目を向けてみよう。
「赤門旋風」は投手たちの頑張りもあったが、野手も実力者が揃っていた。
イの一番に名前が挙がるのは、1981(昭和56)年から1984(昭和59)年に在籍した立追浩一だろう。1984(昭和59)年秋季リーグに東京大野球部としては史上6人目となる首位打者を獲得。11試合に出場して44打数18安打、打率.409を記録した。また1990年代には間宮敦が活躍。「東大のイチロー」とよばれ、1995(平成7)年春季リーグでは、立追に続く史上7人目の首位打者に輝いた。以降、現在まで東大野球部から首位打者は誕生していない。
東京大野球部の最多本塁打記録を持っているのが、1979(昭和54)年から1982(昭和57)年に在籍した下嶋忍と、1982(昭和57)年から1986(昭和61)年に在籍した草刈伸之だ。ともに在籍時に6本の本塁打を放ち、特に下嶋は初打席初本塁打の離れ業をやってのけた。
ベストナインは長くとも2、3年に1人は選ばれており、2001(平成13)年に越智啓一朗が遊撃手でベストナインを受賞したのを皮切りに、2004(平成16)年まで4年連続で選出された。しかし、2004年秋に外野手でベストナインに選ばれた太田鉄也以降、誰も選ばれていない。