若手注目株と成長するための方法論〜いつでもどこでも誰でも学ぶべきことはある
前回はバッターで注目すべき選手の話をしたので、今回はピッチャー、特に若手選手で気になる選手の話をしたいと思います。
【バッターにとっては速い真っすぐが一番嫌】
個人的に、今の若手で一番注目すべきピッチャーは日本ハムの大谷翔平選手だと思います。大谷選手は、投手でも打者でもどちらでも大成すると思うから評価が難しいんですけど、だからこそ、どちらか一本に絞ってほしいですね。
だって、去年よりも遥かにいい球を投げてますから。下半身がしっかりして、フォームも去年よりよくなっている。何よりも、158キロとかをコンスタントに投げるピッチャーは今の日本には他にいないですからね。
見ているファンの方からすれば、速球投手よりも変化球投手の方が打ちにくいんじゃないの? と思われるかもしれません。でも、バッターからすれば速い真っすぐがあるピッチャーが一番嫌ですね。
なぜかというと、どんな豪速球投手であっても、当然変化球も投げます。変化球も意識しながら150キロ後半の真っすぐをファウルにしようと思ってもできないですよ。反対に、変化球が得意な投手でも、真っすぐがカットできるのであれば、最後まで引きつけてから打つことができるのである程度は対応できます。
だから、バッターにとっては速い真っすぐが一番嫌なボールです。変化球であれば、体の近くで速い変化で食い込んでくるボールに対応するのが一番難しいですね。右バッターであれば右ピッチャーのシュート、左バッターであれば右ピッチャーのカットボールとか。体に急激に近づいてくるボールをバットの芯に当てることは一番技術がいるんです。たまにナチュラルにシュートするピッチャーがいますけど、あれは最高の武器だと思いますよ。
【安定した力を見せる、西・菅野・大瀬良】
大谷選手以外でも、今季はオリックスの西勇輝投手、巨人の菅野智之投手、広島の大瀬良大地投手など、若手投手の活躍が目立ちますね。
菅野投手は、去年見て、すごくいいピッチャーだなぁと思いました。2年目のジンクスとかいろんなことを言われる中で、今季も巨人で唯一安定した成績を残している。もうすっかり大黒柱ですよね。コントロールもいいし、今年はさらにフォークボールも覚えて、そのボールもうまく使えている。何よりも体が強そうですよね。持って生まれたDNAかわからないですけど、体に馬力があります。
大瀬良投手は、今ももちろん頑張ってるんですけど、もっともっと球の力が出てくるんじゃないかなぁと思っています。去年のドラフトの中で1番いいピッチャーじゃないでしょうか。
西投手は、コントロールがいいというか、ピッチングがうまいというか。以前からすごく力のある投手で、ようやく成績が追いついてきた、といったほうがいい気がします。あとオリックスの場合は、金子千尋投手の影響も大きいんじゃないですかね。
やっぱり、金子投手クラスのお手本になるような選手がチームにいると、若手にとっては大きいですよ。一緒に練習もできるし、最初はその人の真似事からはじまり、その次は少しでも近づけるように。最終的にはこの人を超えようと目標にもなりますから。
▲西勇輝(オリックス)
【いつでも学ぶべきことはある】
でも、学ぶこと自体は、若手じゃなくても、チーム内に目標とする人物がいなくても常にできることだと思います。自分の場合は特に引退間際、代打になってからベンチで野球を見ることが多くなったので、他のチームでも調子のいいバッターのスイングはずーっと見てましたね。
そして、常に見続けていると、ピッチャーとバッターの勝負を分ける「間合い」の差がわかるようになりました。やっぱり、よく打つ人は自分の間合いで打ってるんですよ。反対に、当たっていない人や調子の悪い人は、見ていても間合いが合っていないのがわかる。だから「あぁ、ピンチだけどこの場面は大丈夫だな」と思って安心して見てられましたね。
もう1つ共通するのは、いいバッターや調子のいいバッターっていうのは「絶対に体が前に流れない」ですね。それだけのことなんですけど、そこが一番大きい。自分の軸でしっかり振れている人っていうのは、やっぱりいい成績を残します。でも、自分から打球を迎えにいくバッターっていうのはベンチで見ていても怖くないです。
結局、バッターって、ホームランバッターでも中距離ヒッターでも安打タイプでも、ボールを呼び込んで待つまでの形はみな同じだと思うんです。そこから先、スイングっていうのは、ホームランを打つ人は押し込むとかそういった感覚もあると思うんですけど、自分の場合は相手の速い球の勢いも利用して、強い打球を打とうと心がけていたので、その部分をよく見るようにしていましたね。
立浪和義(たつなみ・かずよし)
1969(昭和44)年8月19日生まれ、大阪府摂津市出身。PL学園高〜中日。PL学園高では1年秋からショートのレギュラーを獲得。3年時は主将として甲子園春夏連覇を果たした。中日からドラフト1位指名を受け、1988年に入団。1年目の開幕戦に、高卒ルーキーながら2番・遊撃手で先発出場した。同年に新人王と高卒ルーキー初のゴールデングラブ賞を受賞。さまざまな打順、守備位置を経験し、2003年に2000本安打を達成。2009年に引退するまで、生涯中日を貫いた。通算487二塁打はNPB記録で、プロ生活初安打も、最後の安打も二塁打だった。引退後は解説者を務めるとともに、2012年秋から2013年春のWBCまで日本代表の打撃コーチを務めた。
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