南海、巨人などで活躍した富田勝氏が5月26日、肺がんのため大阪市内の病院で亡くなった。68歳だった。
富田勝といえば、「黄金ドラフト」として名高い1968年のドラフト会議で南海から1位指名を受けた人物として知られている。なぜこの年が黄金ドラフトなのか、といえば、山本浩二(広島1位)、東尾修(西鉄1位)、有藤通世(ロッテ1位)、山田久志(阪急1位)、加藤秀司(阪急2位)、福本豊(阪急7位)、大島康徳(中日3位)と7人もの名球会選手を輩出。その他にも、田淵幸一(阪神1位)、星野仙一(中日1位)など7人の監督経験者も生み出しているからに他ならない。
そんな1968年ドラフトにおける「栄光の巨人軍1位指名選手」こそ、武相高を甲子園に2度導いた右腕、島野修(故人)だった。
島野は選手としては通算1勝4敗と大成することはなかった。だが、引退後に日本球界に大きな足跡を残すことになる。それは、阪急ブレーブスのマスコット「ブレービー」、そしてオリックス・ブルーウェーブのマスコット「ネッピー」の“中の人”として活躍し、マスコット界に革命をもたらしたからだ。
奇しくもこの記事が公開される6月2日は島野修の誕生日だ。「マスコットのパイオニア」とも呼ぶべきこの人物の半生を、島野に影響を与えたフレーズとともに振り返ってみたい。
時は巨人の黄金時代、結果として9年連続日本一に輝いたV9の中盤。誰もが巨人に憧れを抱いていた。田淵幸一(当時法政大)こそ巨人と相思相愛と囁かれる一方、「田淵を逃したら君を1位指名したい」と巨人スカウトから言われていたのが星野仙一(明治大)だった。
そしてドラフト当日。田淵を指名したのは指名順位で上位だった阪神。だが、巨人は星野を指名せず、高校生の島野を指名。このとき星野が発した言葉が「星と島を間違えたのではないか」だといわれている。
この言葉自体は島野に向けられたものではない。だが、結果論でいえば、島野にとってもこのドラフトは何かの間違いだったのか、好結果を生み出さなかった。
「どこへ行ってもドラフト1位の投手でしょう。視線が僕に集まっている。最初は興奮しましたが、いつの間にかうとましく、人に言えないプレッシャーがありました」(澤宮優『ドラフト1位』より、島野修インタビュー)
肩の故障もあって、巨人在籍7年間で1勝のみ。1976年、阪急ブレーブスにトレード移籍し、心機一転を図った島野だったが、阪急では1軍登板機会のないまま、1978年に現役を引退した。
選手としては大成しなかった島野だったが、球団内では「宴会部長」として活躍。巨人でも阪急でも、場を盛り上げる明るいキャラクターが評判だった。
この「宴会部長」としての資質に着目したのが阪急のフロントだった。現役引退後、飲食店を経営していた島野のもとを訪れ、阪急が考案したマスコットの中に入ってもらえないか、と打診したのだ。
当初は「そんなもん恥ずかしくてやれるか」と断りを入れた島野。だが、球団が用意したサンディエゴ・パドレスの試合に出てきたスポーツマスコット「KGBチキン」のパフォーマンス映像を見て、考えが一変した。その映像の中でチキンは、試合展開に応じてパフォーマンスを演じわけ、ときには審判に向かって抗議することで球場に笑いをもたらしていた。
当時、既に日本ハムには「ギョロタン」というマスコットが存在し、ヤクルトでも1979年頃から「ヤー坊」と「スーちゃん」という燕のマスコット(と着ぐるみ)を採用していた。だが、MLBのマスコットのような試合の機微に応じて、パフォーマンスを演じわける球団マスコットはまだ日本には存在しなかった。
「野球を知っていないとできない仕事だよ、島野君」
球団幹部からのその言葉が、島野の背中を後押しした。
「アメリカではこんなことをやっているのかというのが第一印象で、自信はなかった。ただ、体力的にはやれると思いました。ビデオで見て心が動いたのは事実です。俺にできるかもしれないと感じ始めたんです。こういうことをやってお客さんが少しでも増えたらいいなと考えたんです」(澤宮優『ドラフト1位』より、島野修インタビュー)
パフォーマンスに対しての自信の欠如は、人形劇の劇団員から連日連夜、演技の仕方を教わることで養っていった。あるときはサーカスを観に行って、ピエロの動きを観察した。
そして1981年4月11日、日本初のパフォーマンスを主眼とした本格マスコットが西宮球場でグラウンドデビューを果たした。まんまるの目、あひるのようなくちばし、青いトサカ、赤いシッポ、全身を覆う黄色い羽根……阪急ブレーブスのマスコット「ブレービー」が誕生した瞬間だった。
だが、島野の本当の苦しみはここから始まることになる。
(次号に続く)
※参考文献
『それゆけネッピー! プロ野球マスコットにかけたゆめ』(花木聡/くもん出版)
『ドラフト1位 九人の光と影』(澤宮優/河出文庫)
■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)