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今季は大丈夫? もう思い出したくもない、大きく期待を裏切った巨人の助っ人外国人列伝


 3月25日、ついに2016年プロ野球ペナントレースが開幕。野球界に暗いニュースが続いていただけに、その話題を一掃するような選手たちのプレーに期待したいところだ。

 なにかと話題の巨人。V奪回を狙うため、課題の打線強化のためヤンキースからギャレット、ロッテからクルーズを補強。ヤクルトとの開幕3連戦ではクリーンアップを任され、2人とも本塁打を放つ大活躍をみせている。

 しかし、巨人にはかつて大きく期待を裏切った助っ人外国人が、過去に何人も存在していた。参考までに彼らを紹介しつつ、ギャレット、クルーズがその系譜に名前を連ねない祈るばかりだ。

ゲーリー・トマソン(1981、1982年在籍)


 サンフランシスコ・ジャイアンツ時代の1977年には17本塁打をマーク。1981年に主軸を担う長距離砲として巨人に入団する。一時は4番を任されるなど20本塁打を放ちその実力を見せつけた。しかし、その一方で三振数は132を記録。チャンスでなかなか打てない勝負弱さもあって「大型扇風機」「トマ損」とありがたくない異名をつけられてしまう。さらに、翌1982年には開幕直後はスタメン出場するも、途中からライトの定位置を淡口憲治に奪われ出場機会が減少。47試合に出場し本塁打はゼロと結果を残せず、このシーズン限りで巨人を去った。

 その後、「トマソン」の名は別の形で知られていく。昨年亡くなった作家・芸術家の赤瀬川原平は、芸術物ではあるがあまり実用的ではない無用の長物を「トマソン」と命名。前衛芸術界に大きな影響を与えた。


ジェフ・マント(1996年在籍)


 オリオールズ時代の1995年には4打席連続本塁打という離れ技を記録し、一発のあるバッターという触れ込みで1996年に巨人にやってきた。オープン戦でもなかなか調子が上がらず、その実力に疑問符が付き始めるが開幕戦では「7番・サード」としてスタメン出場を果たす。

 しかし、その長打力をなかなか発揮することができず、開幕10試合目にはスタメン落ち。そのまま好転することなくシーズン途中で解雇された。前年の終盤に結果を残した若手の吉岡佑弐(吉岡雄二/現富山GRNサンダーバーズ監督)を差し置いてマントをスタメン起用したことは、多くの巨人ファンを失望させる結果となった。

ルイス・サントス(1997年在籍)


 マントを解雇した巨人だったが翌年の1997年、同じ過ちを繰り返す。新外国人として獲得したのは台湾プロ野球で結果を残したドミニカ人のルイス・サントス(写真)だった。台湾・兄弟エレファンツに在籍した3年間で首位打者1回、打点王1回、3年とも打率は3割5分を超える高打率を残す。

 右打者にも関わらず「台湾のイチロー」という異名がつけられていた。開幕戦では松井秀喜、清原和博に続く「5番・サード」で出場するが、台湾時代の打撃は鳴りを潜める。さらに課題としていた守備でもミスが続き、結局39試合の出場に終わり打率.237と散々な結果に終わり1年で退団を余儀なくされた。


ダン・ミセリ(2005年在籍)


 巨人ファンにとっては二度と思い出しくない名前だろう。2005年、抑え不在に頭を悩ませていた巨人は新守護神としてミセリを獲得する。ところが4月1日の広島との開幕戦、ミセリはいきなりやらかしてしまう。

 9回表、1点リードの場面でマウンドへ上がったミセリは、ラロッカに本塁打を浴び同点に。そして1死二塁から、緒方孝一に2ランを許し、開幕戦勝利目前から一転、悪夢の逆転負けを喫した。

 さらに4月5日の横浜戦では、延長12回に登板するも、サヨナラ安打を打たれまたもや救援失敗という失態を犯す。わずか4試合の登板、0勝2敗という成績で、4月中旬に解雇された。

 解雇されたミセリは家族とともに浅草観光に出かけ、その光景が報道されると巨人ファンは怒りを露にした。この年、巨人は低迷を続け5位という不本意な成績に終わっている。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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