上位指名を野手で固めた楽天が3番目に求めたのは早稲田大の大砲。大学4年になって本塁打を量産し始めた男が「飛ばしのコツ」を掴むに至った道のりとは。
ドラフト会議前、筆者は早稲田大のバットマン・茂木栄五郎が「2位以内で指名されるだろう」と勝手に想像していた。だが、結果は3位指名。しかも、最後に3位指名した楽天まで35人の選手が指名されていたにもかかわらず。
ドラフト前、茂木はこう言っていた。
「必要としていただける球団なら、何位でもうれしいです。いい結果を残して、チームや企業(オーナー)にプラスをもたらすような選手になりたいです」
謙虚な茂木らしい言葉ではあったが、本人ももう少し早い段階で自分の名前が呼ばれるイメージを持っていたのではないだろうか。
なぜ、茂木が36番目まで残っていたのか。考えられる理由は、茂木の体調面への不安が評価を下げたということしかない。
今春の東京六大学リーグで5本塁打、続く大学選手権で2本塁打を放ってMVPを獲得。ユニバーシアード日本代表では打率5割をマーク。これ以上ないアピールをしてシーズンを終えた7月、茂木の腰は悲鳴をあげていた。
「春先の日本代表の選考会から腰に痛みがあって、春のリーグ戦も最初(1節・東京大戦)は代打で出ていました。ユニバーシアードが終わって休みをいただいたのですが、秋のリーグ戦に向けたオープン戦で疲れが取れなくて、調整が遅れてしまいました」
大学最後のリーグ戦となった今秋、チームは優勝を果たしたものの、茂木個人の成績は打率.200、2本塁打と数字を下げた。
茂木は自身のことを「ケガが多いタイプなので、そこは改善ポイントです」と自己診断していた。今年の腰痛だけではなく、高校時代には死球で左ヒジを骨折し、手術の際には不整脈が見つかった。その時点ではプレーに支障ないと診断されたものの、大学2年時に不整脈が再発。呼吸があがりやすく、めまいや立ちくらみが頻発したが、本人は「他人の体になったことがないので、これが普通なんだと思っていました」という。そこで手術し、順調に回復しているものの、医師から「完治」の診断はまだ下っていない。
大多数のスカウトが、茂木の能力を買っていることは間違いない。だが、プロの長いシーズンに茂木の体が耐えられるかどうかは未知数だ。それが「36番目」という順番になったのだろう。
茂木の最大の魅力は、バッティングにある。ボールが破裂するかのような打球音は、学生野球のなかでは異質だ。プロに入って打撃練習をしても、おそらく首脳陣や先輩選手たちから「すごいバッターが入ってきたな」と一目置かれる存在になるに違いない。
茂木の打撃のルーツは幼少期にある。父・龍夫さんと毎朝、公園でティーバッティングをしていた。ボールを打つと近所迷惑になってしまうため、新聞紙を丸めて実際のボールよりも小さい球体を作り、それをボール代わりにして打ち込んだ。茂木のボールの芯を確実にとらえる打撃の原型は、この時期に作り上げられたものだ。
早稲田大でも出会いに恵まれた。大きかったのは大学日本代表でともに中軸を任された吉田正尚(青山学院大→オリックス1位)と知己を得たことだ。4年春に長打力が爆発したことは前述した通りだが、3年秋までの茂木の打撃はバットコントロールの「うまさ」は感じても、「強さ」や「怖さ」は感じられなかった。
茂木は日本代表の練習で吉田の打撃を見て、衝撃を受けたという。「体格は僕と同じくらいなのに、代表の中で群を抜いていました。バットに当たってからが強いというか…。吉田に追いつくには、あれだけ振らないとダメなんだなと思いました」
3年秋以降、茂木は打撃改造に取り組むことになる。
「インパクトでのボールの見え方を常に同じにできれば、いつもインパクトで最大限の力をボールに伝えることができます。なのでボールに当たる瞬間から逆算してトップを作ったり、タイミングを取るようにしました」
吉田も茂木も身長は170センチちょっと。プロの強打者としては頼りなく感じられるかもしれない。だが、ともに一流の打者に成長する可能性は十分にある。森友哉(西武)のように、小柄でもフルスイングをしながら高い精度でボールにコンタクトできる打撃技術があれば、プロでも強打者として活躍できることは間違いない。
まずはフルシーズン戦える肉体を獲得すること。そうすれば、茂木はきっと「よく3位で獲れたね」と言われる選手になるだろう。
(※本稿は2015年11月発売『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』に掲載された「32選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・菊池高弘氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)