1980年代の黄金期の中心選手で、西武に在籍した14年のうち、リーグ優勝11回、日本一を8回経験。主要タイトルの獲得こそならなかったが、1986年には三冠王の落合博満やルーキー時代の清原和博を抑えてMVPを獲得したこともある。
翌87年には、パ・リーグの野手として初の1億円プレーヤーになるなど、給料面でも黄金期のメンバーをリードしていた。
森祇晶監督をして、「10年間は遊撃手に困らない」と言わしめた守備力の持ち主。田辺の加入で、秋山幸二が外野手に、石毛がサードにコンバートされた。
守備の人というイメージだが、「恐怖のの9番打者」と呼ばれ、2年連続で2桁ホームランを記録するパンチ力も秘めていた。
「短距離走の練習をしっかり行えば、オリンピック選手になれる」と言われるほどの身体能力を武器に、8年に渡ってショートを守り続けた松井稼頭央。今年で41歳となる現在も、楽天で存在感をみせている。
デビュー当初は最高で62個も決める盗塁が持ち味だったが、徐々にパワーも付け、それが2002年にトリプルスリーという形で実った。その結果、西武という枠を超えて、プロ野球界最高のショートとも言われている。
入団時から松井稼頭央の後釜として育成され、メジャーリーグへ移籍した松井の穴を埋めるべく2004年から正遊撃手として活躍。ご存じの通り、現在は同じパ・リーグのライバルチーム・オリックスでプレーしている。
ここぞのバッティングには光るものがあったが、守備難がなかなか改善されず、当時のエースだった松坂大輔から苦言を呈されていたことも。それを糧にしたのか、ゴールデングラブ賞を獲得するまでに成長した。
こうして改めて西武のショートを見ていくと、ある意味で日本のショートの歴史とも言える。どの時代を切り取っても、必ず名選手の名前が出てくるのだ。
外崎もぜひ、そんなレジェンドたちの一員になってほしい。
リンゴ農園を営む両親に親孝行するべく、バッティンググローブにりんごの刺繍をいれるほど心優しい男だが、やる時はやる。そう信じて、今季は外崎ウォッチャーになろうと決めた。
文=森田真悟(もりた・しんご)