今年、プロ志望届を提出したのは高校・大学を合わせ159人。運命のドラフト会議を間近に控え、どの球団に指名されるのかと気が気ではない時間を過ごしているはずだ。
相思相愛が理想だが、そうはいかないのもドラフトの妙。さらに指名競合ともなればクジ引きに運命を委ねるしかない。だからこそ、過去には指名されても「意中の球団ではないから」と断固拒否を貫いた男たちがいた。
ドラフト会議の歴史を振り返るうえで、避けては通れない名前が江川卓。ドラフト史上最多となる「3回の1位指名」(1973年阪急、1977年クラウンライター、1978年阪神)を受けた男としてあまりにも有名だ。江川は結局、一度阪神に入団して巨人にトレードされたのだから、指名拒否回数は2回となる。
巨人では江川以降でも、1982年ドラフト2位の岡本光、2009年ドラフト1位の長野久義が、それぞれ2回の指名拒否(岡本…1978年・南海3位、1981年・南海5位/長野…2006年・日本ハム4巡目、2008年・ロッテ2巡目)の末に巨人に入団している。
だが、上には上がいる。江川、長野らの「2回の指名拒否」を超える「4回指名拒否をした男」が藤沢公也だ。
藤沢は八幡浜高時代、1969年ドラフトでロッテから3位指名される。だが、これを拒否して社会人野球(日鉱佐賀関)入り。その後も、1971年(ヤクルト11位指名)、1973年(近鉄4位指名)、1976年(日本ハム2位指名)のドラフト指名をことごとく拒否し続けた。
そんな藤沢がついにプロ入りするときがやってきた。1977年ドラフトで中日から1位指名を受け、1978年オフに「5度目の正直」としてようやくプロ入りを果たしたのだ。この「ドラフト5回指名・4回入団拒否」は日本プロ野球史上最多の回数となっている。
プロ入り1年目の1979年はパームボールを武器に13勝を挙げ、見事に新人王を獲得した藤沢。さすがは5回も指名を受けた男、と評価された。
ところが、藤沢がプロで輝けたのはこの年のみ。2年目に1勝15敗と散々な結果に終わると、以降も勝ち星はなかなか増えず、結局1984年オフに現役を引退。実働はわずか6年で27勝35敗という成績だった。「たられば」になってしまうが、もし藤沢の入団年・入団チームが違っていたのなら、どんな成績を残していたのだろうか。
果たして、今年指名を受ける選手のなかで「入団拒否」を選択する選手はいるのか? 運命のドラフト会議は10月22日に行われる。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)