神奈川・横浜創学館高から八戸大(現・八戸学院大)に進学し、1年春からレギュラーに定着する。大学選手権には1年時、4年時と2回出場。4年春のシーズンは首位打者を獲得するなど、好調のまま大学選手権へと臨んだ。
準決勝の東洋大戦では2回、東洋大のエース・乾貴大(現・巨人)から右中間へ一時は同点となる本塁打を放つ。試合は1対5と敗れたが、秋山はプロのスカウトから注目を集める存在へと変わっていった。
2010年秋のドラフトでは西武から3位で指名され、1年目から活躍。昨年はプロ野球新記録となるシーズン216安打をマークしたのは記憶に新しい。
その秋山と同学年であり、同じ年にプロ入りしたのがソフトバンクの柳田悠岐。広島商高時代は中距離打者だったが、広島経済大に進学後は金本知憲(現・阪神監督)が現役時代に利用していたトレーニングジム「アスリート」に通い、肉体強化をはかった。
徐々に広島六大学リーグで台頭し始め、リーグを代表する打者に成長。大学選手権には2年時から3年連続で出場を果たし、4年時の三重中京大戦では、捕手の二盗への送球が逸れたところでバックアップに入り、三塁送球で二盗から三塁を狙う走者を刺すなど、その強肩をアピール。走攻守三拍子揃った外野手としての評価を高めた。
ソフトバンク入団後は長打力に磨きがかかり、昨年は「トリプルスリー」を記録。いまや球界を代表する選手へと成長した。
滋賀・八幡商高から三重中京大に進学。大学選手権には2年時と4年時に出場し、2年の時には前出の柳田擁する広島経済大と対戦する。
則本は4番手として登板するが、延長10回にサヨナラ打を浴びる悔しさを味わった。その2年後、最上級生となった則本。三重中京大は翌春に閉校されることが決まっており、三重中京大として最後の大学選手権出場となった。
大阪体育大と対戦して相手先発・松葉貴大(現・オリックス)と互いに譲らぬ投げ合いを展開。威力のあるストレートで次々と三振を奪い、9回を終えて18奪三振。試合は1対1のまま延長タイブレークに突入。さらに2つの三振を奪うも、自らの暴投で1点を失ってしまう。この1点がそのまま決勝点となり1対2で敗れた。
それでも参考記録ながら20奪三振の力投で、無名の存在から一躍ドラフト上位候補へと評価が急上昇する。日本生命へ入社がの内定していたが、ドラフト会議では楽天が2位指名し入団。ルーキーながら開幕投手を任され、1年目で15勝を挙げる大活躍。同年の楽天日本一にも貢献した。
文=武山智史(たけやま・さとし)