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《野球太郎ストーリーズ》巨人2012年ドラフト1位、菅野智之。雌伏の1年を正解だったと認めさせるために(2)

取材・文=大利実

《野球太郎ストーリーズ》巨人2012年ドラフト1位、菅野智之。雌伏の1年を正解だったと認めさせるために(2)

前回、「小さい頃からの「夢」が叶う」

昨年のドラフト会議で交渉権を獲得した日本ハムの入団を拒否し、1年間の浪人生活を送った菅野智之(東海大)。祖父はアマ球界の重鎮、伯父はプロ球界の日本一監督…。菅野にとって学生野球とは、宿命から逃げずに戦った時間でもあった。関係者の証言も交えながら、菅野智之の「心・技・体」の成長を追った。

力を入れた「体作り」


 東海大の横井人輝監督は、大学入学直前の2月にピッチング練習を見たとき、「腕が振れていたので、体ができれば150キロは勝手に出るだろうと思いました」と語っていた。最終的には、最速157キロまで記録した。

 大学での飛躍について、菅野は「体が変わったことがすべて」と語る。高校時代と比べると、2回りどころから3回りも大きくなった気がする。体重は約10キロ増だが、体の厚みが明らかに違う。

 体作りを担当したのが、アスレティックトレーナー・西村典子さんである。東海大野球部に関わり今年で14年目を迎える。

「菅野が入ってきたときは、ほんとにひょひょろでしたね。背が高い分、『ほっそいなぁ〜』って。それが第一印象でした」

 東海大には、ひとつの大きな特徴がある。その代によって多少の違いはあるが、全体練習の中にトレーニングの時間を組み入れていることだ。たいていのチームは、グラウンドでの練習が終わったあとに、自主練習に似た形でトレーニングをしている。乱暴な表現をすれば、「選手任せ」になっていることが多い。

「菅野が1年生のときから、全体練習の中にトレーニングを入れていたんです。1時間半なら1時間半、きっちりと時間を取ってトレーニングをする。よく、『東海大の選手は大きいですね。何をしているんですか?』と聞かれるんですが、これが大きいと思います」

 菅野の体が劇的に変わってきたのは、2年生の6月からだという。およそ2週間の大学日本代表から帰ってきたとき、体がひとまわり大きくなっていた。

「ぺったんこだった体に、厚みが出てき始めました。ここからですね、体が変わってきたのは。トレーニングの積み重ねと、あとは年齢的なものもあったのでしょう」

 体の特徴は、関節の柔らかさにあるという。特に肩関節の柔らかさは、他の投手陣と比べると秀でている。ただ、下級生当時は強さがまだ足りなかった。

「1年生の秋に、腰を痛めています。体幹が弱かったのでしょう。腹筋を中心にトレーニングをしていくと、腰が痛いということもなくなりました」

 トレーニングをするにつれて、柔らかさだけでなく、少しずつ強さも加わっていくようになった。スクワットを例に出すと、1年時には120キロを持ち上げられなかったが、4年時には250キロを上げるまでになっていた。

「筋肉量が明らかに変わりました。足のストレッチをしているときに、下級生のときは私の手だけで足を持ち上げることができたんですが、学年が上がるにつれて、足がだんだん重くなり、最後は私の肩に足を乗せないと伸ばすことができなかったんです。それだけ筋肉量が増えて、体が重くなっていました」

 こういったストレッチをしているとき、菅野はどんどん質問をしてきたという。

「『いま伸ばしているのはどこの筋肉ですか?』とよく聞いてきました。『大腿筋膜張筋だよ』と教えてあげると、次のストレッチのときに『いまは大腿筋膜張筋を伸ばしているんですよね?』とちゃんと覚えている。体に対する意識は、とても高かったですね。自分でも、たくさん勉強していたようです」

 3年生のときに大学日本代表の遠征に行った際には、帯同していた日本体育大の学生トレーナーが、菅野の体に関する知識の豊富さに驚いたという。

「本人が口にしたことではないですが、『4年後にプロに行く』という思いがあったからこそ、体のことを知らないといけない、体を大きくしたいという意識が高かったのではないでしょうか」

 決して、才能だけで現在の地位にのぼりつめたわけではない。「体作りに関しては、本当に努力していましたよ。その取り組む姿勢を後輩にも見習ってほしいんです」と、西村さんも感心するほどである。

「就職留年」期間での成長


 就職留年中の1年間は、現役選手とほぼ一緒のメニューをこなし、体をいじめた。「また、大きくなっていますよ」と、西村さんもその成長を認める。

 2月には大学のスタッフとともに、アメリカのアリゾナ州にわたり、メジャーリーグのトレーニングを見学した。「勉強になることがいっぱいありました!」と、西村さんにメジャー式のトレーニングを嬉しそうに報告していたという。

 こんな会話ひとつ見ても、体作りに対する興味の深さがうかがいしれる。

 今年7月には、母校・東海大相模高の練習にも参加した。

 「智之、夏の大会前に投げてくれよ」という東海大相模高・門馬敬治監督の言葉に応えて、後輩の赤間謙とともにバッティングピッチャーを務めた。門馬監督は「誰も打てなかった。打てるわけがないでしょ」と笑う。大会前に自分のチームが打てなかったとなると気持ちは複雑だろうが、教え子の成長が何よりうれしかった。

 それは投球だけでなく、心の面にも感じた。

「智之と話してみて、言葉の端々から信念というか覚悟が伝わってきました」

 自ら選んだ就職留年という道。その覚悟が、菅野の心を強くさせていた。

 技術面は、大学の練習でさまざまなことに取り組んだ。そのひとつが、タテ変化に磨きをかけることである。大学時代3年間バッテリーを組んだ伏見寅威が、こんな話を教えてくれた。

「菅野さんは、基本的にはスライダーが武器になる横変化のピッチャーです。横の変化はマスターしているので、この1年間でタテ変化を覚えようとしていました。具体的にいえば、フォークやカーブ。カーブも今よりもっと抜く遅いカーブと、回転をかけた速いカーブなど、いろいろと試しています」

 ストレートに関しては、4年時より「威力が増している」と伏見は証言していた。

次回、「ヤンキース・黒田からの影響」

(※本稿は2012年11月発売『野球太郎No.002 2012ドラフト総決算プレミアム特集号』に掲載された「26選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)

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