5月1日は労働者の祭典、メーデーだ。そこで、プロ野球選手における労働組合、日本プロ野球選手会について今一度振り返っておきたい。
日本プロ野球選手会は、厳密には“一般社団法人”日本プロ野球選手会と、“労働組合”日本プロ野球選手会の2つの法人に区別することができる。といっても、どちらの法人も日本のプロ野球12球団に所属する日本人選手全て(一部の外国人選手を含む)が会員となっている団体で、構成メンバーは同じ。求められる役割に応じて、その顔を使い分けている。
「一般社団法人日本プロ野球選手会」は野球全体の発展を目的に野球教室やチャリティー活動などの社会活動を行う組織で1980年に発足。
一方の「労働組合日本プロ野球選手会」は、選手の待遇改善や地位向上などの要求に基づいて団結し、団体交渉を行う組織で1985年に発足している。「労働組合日本プロ野球選手会」は今年が発足30周年の節目の年にあたる。本稿ではメーデーにちなみ、この「労働組合日本プロ野球選手会」の歴代会長の顔ぶれとともに、30年の歩みを振り返ってみよう。
◎初代会長 :中畑 清(※当時巨人/1985年11月5日就任)
◎2代目会長:原 辰徳(※当時巨人/1989年7月25日就任)
◎3代目会長:岡田彰布(※当時阪神/1992年7月26日就任)
◎4代目会長:正田耕三(※当時広島/1995年12月5日就任)
◎5代目会長:古田敦也(※当時ヤクルト/1998年12月4日就任)
◎6代目会長:宮本慎也(※当時ヤクルト/2005年12月1日就任)
◎7代目会長:新井貴浩(※当時阪神/2008年12月4日就任)
◎8代目会長:嶋 基宏(※当時楽天/2012年12月8日就任)
選手会が果たしてきた実績の中で特に有名なのは、1992年オフから施行されたフリーエージェント(FA)制度だ。選手移籍の流動化という意味で果たした役割は大きい。この時、制度実現に尽力したのが第3代会長の岡田彰布。ただ、岡田本人は当時30代後半にさしかかっていたこともあり、FAを行使しないまま引退している(※1994年のオリックス移籍は、阪神を自由契約になった後のものでFAとは関係がない)。
「選手会会長」という存在が特にクローズアップされたのは、2004年の球界再編時にオーナー側と交渉を重ね、プロ野球史上初のストライキを実施した古田敦也だろう。この時、球団側と選手会が協議を重ねた結果として、ドラフト制度の改革や交流戦が実施されるに至ったのだ。
ちなみに2011年4月2日、3日に開催された東日本大震災復興支援チャリティーマッチの試合前に、「見せましょう、野球の底力を」という名スピーチを演じた現在の選手会会長・嶋基宏。