広島が初優勝を果たした1975年の日本シリーズは阪急に0勝4敗2分で敗れたが、4年後の1979年にリーグ優勝し、パ・リーグ王者の近鉄と対戦。3勝3敗で迎えた第7戦は4対3と1点リードのまま9回裏を迎え、初の日本一まであと3人とした。
しかし、7回途中から登板した守護神・江夏豊は先頭の羽田耕一にヒットを許すと、その後2つの四球で無死満塁と絶体絶命のピンチに陥る。この場面で江夏は代打・佐々木恭介から空振り三振を奪い、まず一死。
続いて近鉄の1番打者・石渡茂が打席に入った。その2球目、石渡がスクイズの構えを見せる。投球中にその動作を見逃さなかった江夏は、とっさにカーブの握りでウエスト。江夏が投じたボールは大きな放物線を描き、石渡のバットをかいくぐり、そのまま捕手・水沼四郎のミットに収まった。
飛び出した三塁走者・藤瀬史朗は三本間で挟まれタッチアウト。一打サヨナラで近鉄初の日本一という状況から、広島初の日本一まで「あと一人」へと場面は一転する。江夏は石渡を空振り三振に仕留め試合終了。広島は念願の日本一に輝いた。
この9回裏に見せた江夏の力投は、その後、ノンフィクション作家・山際淳司が綴った「江夏の21球」として雑誌『Number』に掲載され、『NHK特集』でもドキュメンタリー化。大きな注目を集め、今でも球史に残る名場面として語り継がれている。
1984年の阪急との日本シリーズで主役となった広島の選手は、プロ5年目の長嶋清幸だった。
その前年、長嶋は日本プロ野球史上初となる背番号0を背負い、レギュラーに定着。1984年のシーズンでは2試合連続サヨナラ本塁打を放つなど、今風にいえば「神ってる」選手だった。
本拠地・広島市民球場での日本シリーズ第1戦、1対2で迎えた8回裏に長嶋が打席へ入る。阪急のエース・山田久志のボールを弾き返すと打球はレフトスタンド最前列に飛び込む逆転ホームランとなり、3対2で広島が勝利した。
さらに長嶋のバットには磨きがかかる。舞台を西宮球場に移した第3戦では1点リードの3回表、阪急の先発・佐藤義則から満塁ホームランを放ち、リードを広げた。
さらに第7戦、1対2と1点を追う6回に長嶋は山田から再びホームランを打ち、2対2の同点とする。その後、広島は7回に3点を挙げ勝ち越し、8回にも2点と追加点を奪い、7対2で勝利。4年ぶりの日本一に輝いた。長嶋はこのシリーズで、3本塁打10打点と大活躍。シリーズMVPに輝いた。
1986年、巨人との優勝争いを制した広島は、若い選手が揃う西武と対戦する。
第1戦、広島は西武の先発・東尾修の前に8回まで得点が奪えず、0対2のまま9回裏を迎える。ここで一死から3番・小早川毅彦が本塁打を放ち1点差に。続くベテランの4番・山本浩二は外角のスライダーを巧みにライトスタンドへ運び、広島は土壇場で同点に追いつく。試合は延長戦に突入しても決着はつかず、延長14回引き分けで第1戦を終えた。
すると広島は第2戦から3連勝。一気に日本一へ王手をかける。第5戦は1対1のまま第1戦同様延長戦となり、延長12回裏に工藤公康のサヨナラヒットで西武が試合をものにする。
このサヨナラゲームを境にシリーズの流れは広島から西武へと変わった。西武は第6戦、第7戦といずれも3対1で連勝。3勝3敗1分で日本シリーズ史上初となる第8戦を迎えた。
第8戦で広島は3回裏に先発・金石昭人が2ランを放ち先制するも、6回に西武・秋山幸二の2ランで同点に追いつかれる。8回にはブコビッチに決勝打を打たれ2対3で西武が勝利。広島は日本一を逃した。
表彰式後、現役引退を決めていた山本浩二をナインが胴上げし、このシリーズをもって「ミスター赤ヘル」は18年間の現役生活に別れを告げた。
文=武山智史(たけやま・さとし)