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《野球太郎ストーリーズ》オリックス2013年ドラフト1位、吉田一将。好・不調に左右されず試合を作る遅咲き右腕(1)

取材・文=大利実

《野球太郎ストーリーズ》オリックス2013年ドラフト1位、吉田一将。好・不調に左右されず試合を作る遅咲き右腕(1)

今年のドラフト会議は、各球団が事前に1位指名を明言せず腹の内を探り合う「隠密ドラフト」だった。そのエアポケットにはまるように、オリックスは「競合必至」と目された即戦力右腕の単独指名に成功。高校時代は3番手格。社会人で花開き、2年連続都市対抗準優勝の原動力になった右腕の軌跡と魅力に迫る。

高校時代の控えからドラフト1位へ


 どんな質問を振っても、感情が変わることがなかった。淡々と冷静に答える。声のトーンも変わらない。大きく笑うこともなければ、面倒くさそうに答えることもない。常にフラットに対応しているように感じた。

 それが、ドラフト会議3日前にJR東日本・吉田一将を取材した時の印象である。まるで、吉田のピッチングそのもののようだった。

 社会人での2年間、吉田は先発としてコンスタントに試合を作ってきた。大きく崩れることがない。首脳陣からすれば、これほど計算できるピッチャーはいないだろう。昨年の都市対抗では久慈賞と若獅子賞を同時に受賞した。

「高校の時に『調子で野球をやるな』と言われていました」

 いい言葉である。今日は調子がいいから抑えた、調子が悪いからダメだったでは、ピッチャーとしては話にならない。いついかなる時でも、結果を出す。調子が悪ければ、悪いなりに抑える。高校時代から、実戦的な教育を受けてきた。

 そのために心がけていたのは、何に対しても手を抜かないこと。たとえばダッシュ10本走るのであれば、10本ともにマックスで走る。終わりの9本目、10本目に体力を残しておくような、帳尻合わせはしない。

 安定感こそが、「即戦力」と評価されるゆえんだろう。ドラフト特有の駆け引きで、最終的にはオリックスの単独1位指名となったが、競合指名されてもおかしくない逸材だったことは間違いない。

 だが、時計を3年前に戻した時、日本大で投げていた吉田がここまで成長すると確信していた人はどれだけいるだろうか。もっと巻き戻せば、青森山田高時代の吉田は3番手格の投手。チームは甲子園に出場したが、マウンドに立つことはなかった。当の本人も、その成長曲線を「予想以上」と語る。

 吉田はなぜこれほどまでの成長を遂げたのだろうか――。

 外から見た時、ピッチャー・吉田の最大の武器は191センチの身長にあるように思うが、本人は「社会人で結果を残せるようになってから、武器として思えるようになりました。それまでは使いこなせていなかったので」と振り返る。

 中学1年で166センチだった身長が3年間で20センチ伸び、高校入学時には186センチになっていた。これだけの長身投手は、そもそもの絶対数が少ない。ほかの投手にない「角度」を生み出すことができる。

 しかし、背が大きい選手にありがちなのが、体ができあがるのが遅いということだ。奈良・香芝ボーイズから青森山田高に進んだ吉田だが、「高校3年間はケガばかりでした」。特にヒジを痛めることが多く、ストレートは130キロを超えることもなかったという。

 土台をつくるために、食事には力を入れた。1年夏から12月までに、体重が10キロアップして82キロに。まず、18時過ぎから夕飯を食べ、21時から1.5キロの白米を食べる。夕飯を2度食べるわけだ。1時間どころか2時間近くかけて完食した。

 ヒジのケガもありピッチングではなかなか結果が出なかったが、そんな吉田に、「20歳まであきらめずに頑張れ」とメッセージをくれたのが井本俊秀氏だった。高校野球界では有名なスカウトで、吉田を青森に誘ったのも井本氏である。かつては、PL学園高のスカウトを担当していた。

「その言葉を信じていたのはありますね。主力で投げ始めたのが、大学3年生からなので、井本さんの言葉の通りだったのかなと」

 日々のトレーニングで少しずつ力をつけていくと、大学3年生の時には腕の位置をオーバースローからスリークオーターに変えた。これがはまり、オーバーでは138キロだったストレートが、146キロを記録するまでになった。

「コントロールを安定させるために、仲村(恒一)監督のアドバイスで腕を下げました。上で投げている時はどうしてもボールをなでている感じがあったんですけど、下げてからは指にかかるようになった。横回転にしたことで、ヒジが走るようになったんだと思います」

 3年春に東都2部で初勝利をあげると、4年春には2部で4勝、1部に上がった秋には3勝をマークした。秋は実に12試合、73回2/3を放るフル回転ぶり。日本大が14試合戦ったうち、吉田がマウンドにいなかったのはわずか2試合だった。

 これだけ投げられたというのは、高校時代にケガ続きだった体とはまったく違うということ。やはり、20歳を過ぎてから、吉田の体は強くなっていたのだろう。

 頭の中には「プロ」もあったと言うが、「まだまだ」の気持ちが強く、JR東日本入りを決めた。日本大の衣川隆夫コーチからの「ピッチャーだったら、JR東日本がいい」という薦めとともに、大学で同部屋だった十亀剣がJR東日本で成長を遂げている姿も大きな刺激となった。

次回、「社会人でのさらなる飛躍」

(※本稿は2013年11月発売『野球太郎No.007 2013ドラフト総決算&2014大展望号』に掲載された「30選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)

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