多くの高校球児が、中学時代にはボーイズ、シニアなどの硬式野球でプレーするなか、清水は深谷市立藤沢中の軟式野球部に所属していた。
花咲徳栄高に入学後は1年時からベンチ入りを果たし、2年春、夏と甲子園に出場。しかし、“高校ビッグ3”と呼ばれた先輩の高橋昂也(広島)がエースとして君臨していたため出番は少なかった。センバツでは登板機会は訪れず、夏の甲子園では1試合、1回1/3のみの登板。ただ、その少ないチャンスを生かし、無失点に抑える上々の全国デビューを飾っている。
2年秋からは背番号「1」を背負いエースとして君臨。しかし、関東大会では初戦で慶應義塾高を相手に2回1/3を投げ、自責点3と崩れてしまい敗退。2年連続出場を狙ったセンバツを逃してしまう。
迎えた最後の夏は埼玉大会で4試合に登板。17回を投げ、失点はわずかに2。Wエースを務める綱脇慧との継投で宿敵・浦和学院高を決勝で破り、甲子園出場を決めた。
埼玉大会同様、甲子園でも先発を綱脇に任せ、清水はリリーフで待機。いつ、出番がくるのかわからない緊張状態のなか、ブルペンで準備し、準決勝、決勝ではロングリリーフをこなすなど臨機応変に対応した。
結果的に全6試合に登板。19回2/3を投げ3失点、防御率1.37と安定した投球でチームの優勝に貢献した。また、3回戦の前橋育英高戦では、今夏の甲子園唯一となった150キロをマークするなど、スカウト陣へのアピールにも成功した。
近年、高校野球界のトレンドになっている継投策を綱脇とともに実らせ、埼玉勢として初の栄冠を勝ち取ったと言えるだろう。
夏の甲子園決勝を終えた直後に、清水は侍ジャパンU-18代表に合流。カナダで行われたWBSC U-18ベースボールワールドカップ参戦し、ドラフト候補が多数揃ったチームでもリリーフとして起用された。大会では5試合に登板し、7回2/3を投げて1失点、防御率1.17の成績を残している。帰国後、チームメートの綱脇、西川愛也とともにプロ志望届を提出。運命の日をチームメート3人で待つことになる。
清水は182センチ83キロの長身から放たれる最速150キロのストレート、そしてフォークボールを武器とする速球派だ。甲子園、WBSC U-18ベースボールワールドカップではリリーフのみだったが、埼玉大会では2試合に先発し、それぞれ7回、6回を投げている。また、甲子園ではリリーフながら最長7回2/3を投げるなどスタミナは問題なさそう。
プロでも中継ぎ、抑えとしての起用がはまりそうだが、まだ高校生だ。チームによっては先発候補としての獲得も十分にあり得る。
文=勝田聡(かつた・さとし)