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○第3回○東の横綱 帝京高校野球部(2)

 書籍『野球部あるある』(白夜書房)で「野球部本」の地平を切り拓いた菊地選手とクロマツテツロウが、「ありえない野球部」について迫る「野球部ないない」。
 最初に取り上げるのは「東の横綱」と称される帝京高校野球部。普通の野球部では「ないない」と言われるであろう「帝京野球部あるある」を描き出すため、帝京野球部OBで現在は芸人として活躍する杉浦双亮さん(360°モンキーズ)に会いに行ってきた。今回は「下級生時代の思い出」について。

乳首から血がふた筋タラーッと…


「僕らの頃は一般生でも入部できたので、1年生だけで80人くらい部員がいたんです。それをふるい落とす意味もあったんだろうなぁ。毎日毎日走らされているうちに1人、また1人と減っていって、7月には半分以下になっていました」
 そう語る杉浦さん自身も一般生出身だった。過去のインタビュー記事に「野球が強いところに行きたかった」というコメントが載っていたので「帝京一筋」なのかと想像していたが、「実は法政二高か立教(現・立教新座))に行きたかったんですけど、落ちたので…」と、まさかの「滑り止め」告白。それでも中学では速球派投手としてそれなりに鳴らしていた杉浦さんは、当時まだ無名だった聖望学園からの誘いもあったという。入学する2年前に夏の甲子園で全国制覇していた帝京でも、投手として十分やれる自信はあった。
「でも、1年生で9人くらいピッチャーがいたんですけど、その中でも下のほうでした…」
 1学年上には大エース・三澤興一(元・巨人ほか)が君臨していた。杉浦さんが入学する直前の春から4季連続で甲子園出場。92年春にはセンバツ優勝も、杉浦さんはずっとアルプススタンドで応援していた。
 レベルが高く、競争が激しい野球部。中学で少し伸びた鼻をポッキリへし折られた下級生時代を振り返っていくうちに、杉浦さんの口からショッキングな思い出が語られた。
「1年生あるあるとしてはね、『乳首に絆創膏(ばんそうこう)を貼る。』っていうのがありますよ」
 意味がわからなかった。それは罰として貼らなければいけないのだろうか…。腑に落ちないでいると、杉浦さんが続けた。
「1年生は入部すると7月くらいまで走らされてばかりいるんです。走ってばかりだから次第に乳首と服がこすれてくる。気づいたら服の乳首あたりから血がふた筋、タラーッと滲んでいくんです」
 その絵を想像するだけで笑えてくる。しかし、それは笑えないくらい走らないと起こり得ない現象なのだろう。1年生のロッカーには必ず絆創膏が常備されていたという。

夏合宿の地獄絵図


「夏合宿はきつかったなぁ…。夏の大会で3年生が負けた瞬間、スタンドの1、2年生は10分くらい呆然となって動けなくなるんですけど、それは先輩が負けた悔しさじゃなくて、『明日から合宿が始まるのか…』っていう絶望感しかないんです」
 当時、帝京野球部の休みは1年間に正月の2日だけ。1月3日から12月31日まで、修学旅行先でも練習するという日々で、最もつらいのは夏合宿だったと杉浦さんは語った。
 特にハードな印象として残っているのは、意外なことに練習よりも「食事」だという。
 とにかく量を食べさせられる。
 現在の帝京野球部には、体を大きくするために白米を三合食べなければいけないという「三合飯」という風習がある。杉浦さんが在籍した当時「三合飯」はなかったものの、恐らくこの合宿がその走りだったのではないかと、杉浦さんは想像している。
「昼に弁当が出るんですけど、これを水なしで食べなければならないのがつらかった。当時はまだ『水飲むな』という時代ですからね。食べ終えた弁当の容器を監督に持っていくと、そこでお茶が与えられるんです」
 空の容器と水分の引き換え…。そんなことを大真面目にやっている前田監督の姿を想像すると、失礼ながら笑いが込み上げてくる。
 しかし、部員たちにとってはたまったものではない、地獄だった。
「ご飯はパサパサで、あまりおいしくない。さらに2年生が食べられない分を、監督にバレないよう1年に押し付けてくるんです。だからペース配分には気を配りました。ありがたかったのは水気のある高野豆腐とかトマトとか。『こいつをどこで使うか…』と起用に悩んでました。それでも食べられない部員にはコーチがマンツーマンでついて、無理やり食べさせる。最後は嗚咽しながら詰め込む奴もいました」
 この話を聞いてふと、僕が高校時代に見た「から揚げ事件」を思い出した(第1回参照)。「泣きながらの食事」は、まさに「帝京野球部あるある」だったのだ。
 白米を何とか胃袋に収めるには汁気が欲しい。思い悩みすぎて思考が麻痺してしまうのだろうか。帝京野球部員たちは、世にも恐ろしい「暴挙」に出る。
「近くにあった農業用水を弁当に流して、『お茶漬け』にしていたんです。え、味? 普通にうまかったですよ! でもね、『夏合宿で下痢になる』っていうのも、帝京野球部あるあるですからね!」
 強烈なオチをつけて、杉浦さんはニヤッと笑った。
 厳しい練習、猛烈な食事の果てに下痢を引き起こす、まさに地獄絵図。しかし、今や笑える思い出となっているからか、杉浦さんの口調はすこぶる明るかった。
 しかしこの後、常に明るい杉浦さんの表情が曇ることになる。
 帝京野球部員にとって「最大の敵」である、前田監督の話題に移ったからだ。
(次週につづく)

■杉浦双亮(すぎうら・そうすけ)
1976年2月8日生まれ、東京都八丈島出身。小学5年で埼玉県大宮市(現さいたま市)に転居し、帝京高校では野球部に入部。チームは入学した1年春から4季連続で甲子園に出場するが、自身のベンチ入りはなし。高校時代の同期生・山内崇さんとお笑いコンビ「360°モンキーズ」を結成し、コアな外国人選手のモノマネでブレークした。11月4日には第7回 太田プロただの野球好きトークライブ(新宿・LEFKADA)に出演する。

今回の【帝京野球部あるある】
乳首に絆創膏を貼る1年生。


文=菊地選手(きくちせんしゅ)/1982年生まれ。編集者。2012年8月まで白夜書房に在籍し、『中学野球小僧』で強豪中学野球チームに一日体験入部したり、3イニング真剣勝負する企画を連載。書籍『野球部あるある』(白夜書房)の著者。現在はナックルボールスタジアム所属。twitterアカウント @kikuchiplayer

漫画=クロマツテツロウ/1979年生まれ。漫画家。高校時代は野球部に所属。『野球部あるある』では1、2ともに一コマ漫画を担当し、野球部員の生態を描き切った。雑誌での連載をまとめた単行本『デンキマンの野球部バイブル』(白夜書房)が好評発売中。twitterアカウント @kuromatie

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