2015年オフ、広島に在籍していた木村昇はスタメンでの出場機会を求めFA宣言。しかし、ユーティリティープレイヤーとしての評価は高いものの、規定打席に到達したことのない木村昇をレギュラー候補として必要とする球団は現れなかった。
待てど暮らせど、声がかからない。このままでは所属球団を失ったままシーズンを迎えてしまう。そんな不安がよぎるなか、心無いファンからは「セルフ戦力外」などと揶揄される始末……。
不安を押し殺し、黙々と練習をこなす孤独な姿には、さながら戦力外通告を受けた選手のような悲壮感が漂っていた。
その木村昇に西武からのオファーが届いたのが、年末12月25日のことだった。
「2月の春季キャンプで入団テストをしたい」
FA宣言をした選手に、前代未聞のテスト生としてのオファー。さぞ、プライドを傷つけられたことだろう。
しかし、当の木村昇には我が身を悲観する気持ちなど微塵もなかった。そればかりか、再び野球ができる喜びに胸を高鳴らせていたのだ。キャンプでは、がむしゃらに、ひたむきに、練習に取り組んだ。
その意気が首脳陣に通じたのか? テスト期間を短縮して西武への入団が決まった。背番号は「0」。まさにゼロからの再スタートを切ったのである。
昨シーズンは開幕こそ2軍で迎えたが、4月23日に1軍昇格。守備から出場で、ユーティリティープレイヤーとしての存在感を発揮する。5月になり、主力選手の負傷離脱によりスタメン出場の機会を得ると、11試合連続を含め21試合でスタメン出場を果たした。
昨季の木村昇はシーズン序盤で38試合に出場し、108打席に立っている。広島時代の2015年は72試合で109打席。打席数を比べても、西武首脳陣の木村昇への期待の大きさがわかる。
愛着の強い広島を去る決断したのは、レギュラーへの強いこだわりがあったから。西武に拾われるまでの道は苦難に満ちていたが、念願のレギュラーへの道は開けた。
自分の選択に間違いはなかった。遅咲きのサクセスストーリーは幕を開けた! と、思われた矢先にアクシデントは起きた。
6月22日、守備練習中に右膝前十字靭帯を断裂。野球の神様は、まだ木村昇に試練を与えるのか……。
まさかの大ケガで昨シーズンを棒に振った木村昇。弱り目に祟り目とばかり、オフに待っていたのは非情な戦力外通告だった。
これまで、前十字靭帯断裂により数々のアスリートが引退に追い込まれた。手術後、完全に復調するには8カ月から1年はかかると言われている。負傷したとき、木村昇は36歳。戦力外通告は妥当に思える。多くのファンは、木村昇は引退することになるだろうと覚悟した。
しかし、まだ木村昇を戦力として見込んでいた西武は異例の育成契約を交わす。真剣に復帰を見据えていたのだ。
そこから木村昇は懸命なリハビリをこなした。今シーズン、4月には2軍戦に出場。徐々に調子を上げてきた6月8日には、脇腹を痛めた主砲・中村剛也が脇腹を痛めたことで緊急招集。支配下登録をされたその日にスタメンで出場する。引退がささやかれた大ケガから奇跡のカムバックを果たしたのだ。
この復帰戦では3打席目に安打を放ち、その不屈の闘志は大きな感動を呼んだ。
木村昇にはあるルーティンがある。グラウンドに深々と一礼してから、守備位置まで全力疾走するのだ。そのスタイルは今も変わらない。そこにはベテランとは思えぬ新人のような若々しさがある。
「毎年、自分を更新している手応えがある」
本人がこう語るように、フィジカル面もまだ成長しているようにみえるのは、気のせいではないだろう。
これまで、幾多の苦難に打ち勝って来た木村昇。最大の危機を乗り越えた今こそ、つかみかけていたレギュラー獲りに再チャレンジしてほしい。
謙虚な姿勢。不屈の闘志。木村昇吾には人間的にも見習いたい面が多い。そんな選手が頑張っている姿を見ると、心の底から応援したくなる。遅咲きのサクセスストーリーが成就するのはこれからだ!
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)