香川県高松市の中心部に位置する高松市立中央公園。高校野球の地区大会やプロ野球の公式戦などが1947年から1982年まで開催されていた高松市立中央球場の跡地を整備して作られた。
総面積は約3万5000平方メートルで、東京ドーム3/4個分相当の広さだ。芝生広場が中心にあり、生い茂る木々に囲まれた自然豊かな公園の一角には、球史に輝くライバル関係だった水原茂(1909年1月生まれ)、三原脩(1911年11月生まれ)の全身ブロンズ像が二体、並び立つ。
東京六大学時代から始まる両雄の華々しい戦史は、日本プロ野球の黎明期、そして黄金期へと続き、伝説的なエピソードとともに枚挙にいとまがない。
二人はともに香川県出身で、学年は3つ違い。出身高校(当時は旧制中学)は水原茂が高松商業、三原脩が高松中学(現高松高校)。両校は大正から昭和の始めにかけて甲子園出場を目指し、激しく凌ぎを削っていた。
旧制中学は5年制だったが、「二人が当時、直接対戦した記録はない」というのが一般紙等での見解だ。ところが、1927年(昭和2年)に行われた第13回選手権大会・四国予選の準決勝で、一度だけ対戦を果たしたとの情報もある。
第13回の選手権は、高松商業が2回目の全国制覇を成し遂げた大会だ。高松中学との一戦も2-0で勝利している。その試合で水原は先発投手としてマウンドに上がり、ノーヒットノーランを達成。三原は遊撃手として出場したものの、水原の好投の前に手も足も出なかったという。直接、対戦したかどうかの真偽はさておき、二人の伝説の大きさと彼らへの野球ファンの熱い想いが偲ばれる。
1993年に作られたユニフォーム姿のブロンズ像は、正面から向かって左が読売ジャイアンツの水原で、右が西鉄ライオンズの三原。ともに監督時代の印象的なポーズを映す。
銅像の高さは約2.5メートルで、台座には「野球王国高松を築いた名将:水原茂・三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する」との文字が刻まれる。銅像の背後に回ると、水原が30、三原が60という背番号も確認することが可能だ。