3/21日(土)に開幕した第87回選抜高校野球大会。文字通り全国から選び抜かれた高校が甲子園球場に集結し、まっさらなグラウンドを堂々と歩く入場行進を見ることができた。
まずはその入場行進の歴史から説明しよう。夏の甲子園大会でも見かけるこの儀式は、実はセンバツから始まった。1929年の第6回大会からで、発案は日本人女性として初のオリンピック金メダリストでもある人見絹枝といわれている。
人見本人が出場してきた数々の国際大会の様式を伝え、プラカードを持った先導者に続いて選手たちが曲に合わせながら行進する「入場行進」は、日本全国に広まった。
夏の甲子園の曲といえば、『栄冠は君に輝く』が有名。しかし、あれは大会歌であって、入場行進曲ではない。夏の大会の入場行進曲は『全国中等学校野球大会行進曲』であり、1935年の第21回大会から使用されている。
対照的に、センバツの入場行進曲では、毎年の流行歌を行進曲風にアレンジして使用される。これは1962年の第34回大会から導入され、現在まで続いている。
その歴史を紐解くと、第34回大会以前のセンバツ行進曲には、今では考えられない曲が使用されていた。戦前は海外の行進曲が使用され、戦時中は戦意高揚を目的に、軍歌が使われていたことも。
戦後を迎えると、終戦間もないなかでもドイツの行進曲『剣と槍』や、シベリア抑留兵の間で流行った『異国の丘』などが使用されていた。
その後、毎年の流行歌を使用するルールが設定。前述した第34回大会は、坂本九の『上を向いて歩こう』が使用された。
しかし、毎年のように腑に落ちないのが、使用される曲は、果たして行進曲として相応しいのか? という点だ。
過去には、「スムーズに行進できたのか?」と思わせる曲も多い。
例えば1982年の第54回大会で使用された『ルビーの指輪』は、行進曲というよりもスローテンポが際立つ曲。翌年の第55回大会では『聖母たちのララバイ』が使用された。こちらもムーディな曲で、行進するイメージはつかみにくい。近年でいえば、1999年の『長い間』、2000年の『First Love』があがるだろう。それらを行進しやすいようにアレンジするのが、プロの編曲家としての仕事かもしれないが。
いずれにせよ、夢だった甲子園を一歩一歩、踏みしめて進む球児たちの表情は何ともいえず、自らの青春時代を思い出すファンもいるだろう。今春も球児たちの健闘を祈りたい。