高校野球は、全国各地で地方大会がたけなわ。出場校のなかには、さまざまな理由から、同一校ではなく複数の高校が1つのチームで試合に出場する「連合チーム」も存在する。連合チームは、試合ができてよかった、と思う一方で、そのルールや実態はあまり知られていない。今回は高校野球の連合チームについて紹介しよう。
連合チーム発足の歴史は1997年に遡る。当時の日本高野連は、統合または廃校により部員不足が生じる事態を救済するため「統廃合による大会参加の特別措置」を承認。特別措置適用の第1号として、高岡宇佐分校と高知海洋の連合チームが承認され、第79回全国高等学校野球選手権高知大会に参加した。試合は1−10で初戦敗退に終わったが、全国初の連合チームとして高校野球史の歴史にその名を刻んだ。
2000年には、廃校による部員不足を解消するため、近隣校から選手を借りて大会に出場する事を認める特別措置を導入。連合チームは学校の多様化や少子化の影響で、2004年には31チーム、2005年は58チームと、年々増え続けた。
さらに日本高野連は2011年に、東日本大震災で被災した選手や学校を救済するための特例措置を発表。被災で部員数が減少した高校同士による連合チームの大会参加を容認した。福島大会には双葉翔陽、富岡、相馬農の3つの高校が「相双連合」として出場した歴史もある。
さらに2012年に日本高野連は、連合チームの大会出場条件を大幅に緩和した。連合チームを結成する条件として、部員不足の高校のために「同じ都道府県高野連に加盟し、原則として週2回程度の合同練習をできることが望ましく、関係校間の距離は問わない」としている。母体の高校の選手が最低5人在籍していることを条件とし、他校の選手も含めた合計選手数は最大10人とする、というルールが設けられた。
結成条件が大幅に緩和された影響で、昨年から今年にかけて、地方大会ではその都道府県では初となる「連合チーム」の出場が相次いでいる。
もし現状の連合チームの条件であれば、「最後の夏」を経験できたのに……という元球児は多いかもしれない。試合ができる、甲子園出場を目指せるスタートラインに立てる喜びを胸に、いろいろな障壁を乗り越えて、これからもがんばってほしい。