木佐貫洋、東出輝裕…。いわゆる「松坂世代」の選手も今年で35歳となり、現役引退する選手がますます増えてきた。
そんな中、プロ17年目で渋い働きを見せる選手がいる。その選手の名は加藤健(巨人)。プロ入り後、レギュラーでは出場していないものの二番手、三番手捕手として、チームに欠かせない存在となっている。
今年はプロ入り後最多となる35試合に出場した通称「カトケン」こと加藤の、ここまでのプロ野球生活を振り返る。
新潟・新発田農高に入学した加藤は、1年夏から正捕手となる。高校3年時には春夏連続で甲子園出場を果たすも、いずれも初戦で敗れた。ちなみに、夏に対戦した浜田(島根)のエースが後に早稲田大、ダイエー・ソフトバンクで活躍する和田毅だった。
甲子園で結果は残せなかったが、加藤は強肩強打の捕手としてプロのスカウトの注目を集めた。そして1998年秋、ドラフト会議で巨人からドラフト3位で指名を受ける。この年の巨人のドラフトは1位が大阪体育大の上原浩治(現レッドソックス)、2位は近畿大の二岡智宏。その2人に続く指名で、高い評価を受けていた。
「将来の正捕手候補」として入団した加藤。プロ2年目の2000年シーズン終盤に1軍初出場を果たすなど、順調な成長曲線を描いていた。
しかしこの年のオフ、加藤にとってこの後のプロ野球人生に大きく影響を及ぼす出来事が起きた。中央大の捕手・阿部慎之助がドラフト1位で入団。1年目からレギュラーに抜擢されたのだ。
これにより加藤は、2軍でのプレーを余儀なくされた。控え捕手も村田善則、小田幸平がいたため、なかなか1軍に定着できない苦難の日々が続いた。
プロ8年目の2006年。実に4年ぶりに1軍出場を果たした加藤は、プロ初安打を放つなど、徐々に頭角を現してゆく。
翌2007年には2番手捕手として、開幕から1軍に定着。伊勢孝夫打撃コーチ補佐から、マンツーマンで打撃指導を受けた。その甲斐もあって9月14日の広島戦では、9回裏2死から同点打を放つ活躍を見せると、さらに21日の横浜戦では7回に寺原隼人(現ソフトバンク)からプロ初本塁打となる3ランを打ち、プロ9年目にしてついに脚光を浴びた。
2008年も前年と同じ28試合に出場。打撃ではレギュラーの阿部には敵わないが、リードの良い捕手として次第に投手陣から信頼を得るようになる。
2009年9月4日のヤクルト戦では延長11回、頭部死球を受け病院に運ばれる不運もあった。この時、加藤に代わって急遽捕手に入ったのが、内野手登録の木村拓也だった。
その後、加藤の名前が知られるようになったのは、2012年日本シリーズ第5戦だった。
スタメン出場した加藤は4回、日本ハム先発・多田野数人(現BCリーグ・石川)のボールに対してバントの構えを見せる。内角寄りのボールに対して体をのけぞると、死球の判定となり多田野は危険球で退場処分となった。釈然としない場内の雰囲気の中、5回に打席へ入った加藤はブーイングを受けた。その状況で加藤はレフトオーバーの2点タイムリー二塁打を放つ活躍を見せた。
そして今季、阿部の一塁コンバートなどもあり、加藤は正捕手不在のなかで、出場機会を増やした。7月10日の阪神戦ではプロ17年目で初めての猛打賞をマークすると、9月12日のDeNA戦でも猛打賞を記録。この試合では攻守に渡って活躍しチームを勝利へと導いた。
先日行われた契約更改では、その献身的なプレーが評価され、1300万円アップの3500万円でサインした。
来季はプロ18年目を向かえる加藤。巨人の生え抜きでは、鈴木尚広に次ぐ在籍年数となる。常々心がけている万全の準備で、高橋由伸新監督はもちろん、チームを支えていくだろう。
文=武山智史(たけやま・さとし)