(実働20年/2401試合/8745打数)
王貞治の868本塁打。金田正一の400勝。このふたつの大記録と並んで「NPBのアンタッチャブル・レコード」といわれる歴代1065盗塁、シーズン106盗塁の大記録打ち立てた福本豊。そんな福本が持つ、もうひとつのNPB最高記録が「通算三塁打115本」だ。
福本豊といえば、盗塁数が示す「走り屋」というイメージがある。もちろん、そんな「足」がなければ三塁打にはならないが、同時に、非力なバッターであっても三塁打数は増えない。身長168センチの小さな体とは思えないフルスイングを信条としたからこそ、これだけの数の三塁打を放つことができたわけだ。
そんな福本の打撃スタイルに大きな影響を与えたのが西本幸雄監督。新人時代、「せこいバッティングするな。思い切り振り抜け」という叱責を西本監督から浴びたことで、ただ当てるのではなく、振り抜くスイングを身につけることができたのだ。
(実働18年/2056試合/7148打数)
4度もリーグ最多三塁打をマークし、「三塁打の毒島」の異名で呼ばれたのが東映で活躍した毒島章一だ。
毒島といえば、通算で1977安打と、2000本安打にわずかに及ばず。主要な打撃タイトルも獲得したことがないため、若い野球ファンには意外と知られていない選手かもしれない。それでも、ふたつの「NPB歴代2位」を持つ、まさにいぶし銀と呼ぶにふさわしい名バイブレイヤーだった。
ふたつの「NPB歴代2位」。そのひとつが「通算三塁打106本」であり、もうひとつが「900打席連続無併殺打」という、これまた渋い記録だ。三塁打は1985年に福本に抜かれ、連続無併殺打は2001年、広島(当時)の金本知憲外野手に塗り替えられている。
歴史に埋もれがちな「2番目の男」。だからこそ、イチローが三塁打記録を塗り替えようという今こそ、スポットライトを当てたい一人といえる。
(実働15年/1476試合/5354打席)
戦前・戦後の阪神(大阪)タイガース一筋。戦後初の首位打者であり、「ダイナマイト打線」と呼ばれた当時の阪神打線の中核を担っていたのが金田正泰だ。
俊足巧打の左打者で、人呼んで「三塁打のスペシャリスト」。金田の三塁打記録を語る上で外せないのは、試合数・打席数の圧倒的な少なさだ。1位の福本とは1000試合近い差がありながら、本数的な差は12本。コンスタントに三塁打を放っていたことがわかる。
実際、二桁の三塁打数を記録したシーズンは福本の2回、毒島の4回をしのぐ、通算6回。1951年の「シーズン18三塁打」は現在でも日本歴代1位だ。
ちなみに、イチロー以外の現役選手における通算三塁打数(※2015年終了時点)を見ると、イチローに続くのが松井稼頭央(楽天)の83本(NPB:64本、MLB:19本)、その次が川崎宗則(シカゴ・カブス)の71本(NPB:65本、MLB:6本)だ。いかに、NPB上位3人、そしてイチローの三塁打数が図抜けているかがわかるだろう。
もっとも、MLBの三塁打記録を見ると、歴代1位はサム・クロウフォード(レッズ、タイガース)の「309本」。300本越えは史上唯一人だ。世界の頂は、まだまだ高い。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)