過去には憶測記事が、逆に選手を発奮させ、その後のシーズンに好結果を生み出したケースもある。
「桧山引退!」
2007年、クライマックスシリーズ第1戦を終えた翌朝、名古屋駅ホームで私はスポーツ新聞1面の強烈なタイトルを見て、驚愕したのを今でも覚えている。
この年、阪神はナゴヤドームでのクライマックスシリーズに2連敗。力の差は歴然としており、完敗だった。
槍玉に挙げられた桧山進次郎は、2006年、2007年と2年連続で絶不調な状態で、確かに引退が噂されてはいた。
しかし、なぜこのタイミングで?
某スポーツ紙がシーズン中から出すタイミングを見計らっていたのであろうが、これがとんだ勇み足となってしまった。さすがにこの報道には球団からお咎めが入ったと聞く。
実際桧山がこの時期、引退をほのめかしていたかどうかは不明だが、逆にこの“すっぱ抜き”が、桧山を発奮させたのは確かなようだ。
翌年2008年は94試合に出場、121打席で打率3割を残したからだ。「代打の神様」と呼ばれだしたのもこの年からだろう。
反対に選手の進退を球団が明確にリードできずに、戦力外通告を余儀なくされたのが今岡誠だろう。
今岡といえば2003年はトップバッターとして首位打者、2005年は5番打者として147打点を上げ打点王に輝いたリーグ優勝の功労者だ。
戦力外通告を受けた2009年は23試合の出場にとどまり、不振を極めていた。マスコミもここぞとばかりに、9月初旬には引退、来季戦力外と報じた。
なぜ、球団は阪神のスター選手として華々しい最後を用意してやれなかったのか。
もちろん、アスリートであれば現役続行にこだわりもある。その思いを汲みながら、阪神でソフトランディングさせる方法はあったのではないか。
球団がベストな方法を示して説得できないまま、マスコミが追い込んでいく。進退をめぐる一番悪い形となったのが、今岡のケースだったのかもしれない。
桧山は引退報道の後、6年間阪神に在籍。2013年にユニフォームを脱ぐまで「代打の神様」としてその名を球団史に刻んだ。
今岡は戦力外通告後、トライアウトを受け、ロッテのキャンプでテスト生として再スタート。現役は続行できたが、阪神ファンとしては今岡の最後が腑に落ちない人も多いはずだ。
チームに功績を残した選手たちの処遇については、阪神だけでなく、元中日・井端弘和のような例もある。
今回、福原はどのような処遇を受けるのか。
暗黒時代から“虎の投手陣”を引っ張ってきた福原には、いずれにしても気持ちのいい最後を迎えて欲しい。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。