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雨が生んだ驚愕の高校野球・地方大会3選〜逆転したのに負けた!?

降る音や 耳も酸うなる 梅の雨

 かの松尾芭蕉も歌に詠んでしまうほど、梅雨の時期の空模様には泣かされることが多い。特に、地方大会真っ盛りの球児たちにとっては、せっかくの「晴れ舞台」にもかかわらず、雨で本来の力を出せないことほど悔しいことはない。

 高校野球と雨、というテーマでいえば、甲子園大会中に降る雨が巻き起こした名勝負や伝説は数多い。その一方で、あまり語られることが少ないのが地方大会における雨の悲劇だ。なかでも衝撃的な展開を呼んだ3つの事例を振り返ってみよう。



勝っていたのに雨により完敗!?


 1971年の滋賀大会1回戦でのこと。まずは、スコアを見てもらいたい。

能登川|010|010|5|6
石 山|400|000| |4

 スコアだけ見れば、6−4でリードしているのは能登川だ。ところが、この試合は2−4で石山が勝利を収めた、という結果になっている。いったいなぜか?

 大雨のために試合が中断したのは7回表の逆転劇が終わり、7回裏に入ってから。雨が止む気配はなく、グラウンド状態からもプレー続行は難しかった。そこで審判団と大会本部が協議した結果、両チーム均等回となる「6回降雨コールドゲーム」が選択された。つまり、7回表の能登川の得点はなかったことになり、6回までの得点で勝敗が決してしまったのだ。まさに、無情で非常な雨の仕打ち。リードしていたにもかかわらず試合に負けた能登川ナインは、悔し涙の雨を流し続け、球場からしばらく動くことはできなかった。

記録的水害で大会日程がとんでもないことに……


 1938年7月3日〜5日にかけて阪神地区を大雨が襲った。あまりの雨量で川も氾濫し、神戸市を中心に各市町村に甚大な被害をもたらしてしまった。

 後に「阪神大水害」と呼ばれる、この大雨の影響は球児たちにも及んだ。どこの球場もグラウンドがぬかるんで使えず、また、交通網も麻痺して、移動も困難であったことから、7月中は試合をすることができなかった。そのため、本来であれば代表校が決まっていてもおかしくない8月3日にようやく兵庫大会が開幕。決勝戦は、なんと甲子園本大会の前日という綱渡りの日程になったのだ。

 この年、兵庫大会を制したのは、エース・別当薫(元毎日ほか)を擁した甲陽中。決勝戦で滝川中の別所毅彦(元南海ほか)に投げ勝って全国大会出場を決めたが、その翌日からもう甲子園本大会が開幕。甲陽中ナインは正に着の身着のまま、真っ黒なユニフォームで入場行進に参加しなければならなかった。

雨の影響で3日間に及んだ伝説の熱闘!


 雨がもたらした、まさに“記録的な”試合がある。まだ外地からも甲子園に出場できた戦前の1941年、台湾大会2回戦、台北工対嘉義農林の一戦での出来事だ。

 7月26日にプレイボールがかかったこの試合、両軍エースが好投してゼロ行進。しかし、試合終盤に球場を大雨が襲い、8回降雨引き分けとなってしまった。翌27日の再試合も投手戦が続いたが、またも雨に嫌われ、今度は7回降雨引き分け。翌日に改めて再々試合が行われることになった。

 ここまで15イニングで両チーム無得点という緊迫した投手戦が続いていたが、再々試合の3回にようやく台北工が初得点。対する嘉義農林も6回に1点を返して同点に追いつく。すると、ここからまたしても緊迫した投手戦に入り、両校ともゼロ行進が続いた。決着がついたのは延長25回裏。嘉義農林の主将・柴田が決勝打を放って、サヨナラ勝ちを収めた。雨の影響で3日間に及んだ熱戦の合計試合時間は5時間45分、イニングは40回に達した。


 今年も既に各地方大会では雨による日程変更などの影響が生まれている。だが、花発いて風雨多し。雨の先にある「甲子園出場」という大輪の花を目指し、悔いのない戦いをしてもらいたい。

(文=オグマナオト)

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