1979年は江川卓のルーキーイヤー。前年ドラフトでの「空白の1日」と阪神の強硬指名、小林繁も交えた因縁トレードもあって、阪神戦における江川の登板は、とにかく注目度が高かった。
7月7日、後楽園での巨人対阪神は、江川にとって2度目の阪神戦。初戦では掛布が欠場していたため、この日が初対決となった。
「巨人の新エース」と「阪神の若き主砲」という構図に加えて、2人は同じ1955年生まれ。誕生日も16日しか違わない同級生だ。加えて、高校からスーパースターだった江川に対して、高校から入団テストを経てドラフト6位指名された雑草・掛布。といっても、掛布には5年間先にプロで戦ってきた自負もある。その対決は当時の日本中の注目の的だった。
《七夕対決。僕の奥さんの誕生日だったから覚えてる。その前日から、もうマスコミに「いよいよ江川と対決です」と煽られて。本当、嫌だったね》(江川卓・掛布雅之著『巨人-阪神論』より、掛布の言葉)
ライバル対決、と評される戦いは、得てして周囲が勝手にはやし立てているだけの場合も多い。だが、「江川対掛布」は、お互いがお互いをライバルと認めた、まさに因縁の対決だった。上述した『巨人-阪神論』のなかで、二人はお互いについてこうコメントしている。
《(自分は)江川に育ててもらったと言ってもいい。あのストレートを打つために、それだけのスイングをいろいろと考えたりするんですから。技術的に凄くレベルアップさせてもらったと思いますよ》と語ったのは掛布。
《掛布の状態がいい時は、それが僕にとっても指標になるんです。掛布が、どういうふうに打球を飛ばすかによって自分の調子が分かる。掛布の調子が悪いと、そりゃ試合は楽ですよね。だけど自分を計る指標がなくなるわけですよ》と江川。
二人の最後の対決は1987年9月27日の後楽園球場。結果は空振り三振。ホームランで始まり、三振で終わる。それが、江川卓vs.掛布雅之のライバル対決だった。
今の球界で、これほどまでにお互いを意識したライバル関係は、なかなか思い浮かばない。それがどうにも寂しいし、物足りない。なればこそ、オールスターゲームに期待したいところだが、最近は交流戦直後ということもあって話題性も新味も乏しい。勝負よりもイベント的ですらある。4日には監督推薦選手も発表され、全出場メンバーが決定する今年のオールスターゲーム。これぞプロ、と唸るライバル対決は見られるのだろうか?
文=オグマナオト