12月2日、西武から国内FA権を行使した脇谷亮太の巨人入りが発表された。脇谷といえば、2013年1月、西武から巨人にFA移籍した片岡治大の人的補償として西武入りした経緯がある。
28人のプロテクトから外れ、いわば球団から三行半を突きつけられてからわずか2年弱。実力で復帰をもぎ取った形だ。
一方で窮地にさらされているのは、FA移籍した片岡治大。脇谷はCランクのため、人的補償は不要で「まさかの西武に出戻り!」とはならないが、「この2年間は何だったのか…」とファンは密かに囁き合っている。
華々しいFA移籍と急転直下の人的補償移籍。プロ野球界では象徴的な格差のひとつでもある。2年前、明暗を分けた2人を比較してみよう。
そもそも片岡がFA移籍し、脇谷が人的補償になる経緯を数字でおさえてみたい。2人の移籍前3年間の成績は以下の通りだ。
<片岡治大>
【2011年】(28歳)
86試合/打率.230/1本/18打点/22盗塁
【2012年】(29歳)
52試合/打率.225/2本/19打点/8盗塁
【2013年】(30歳)
72試合/打率.290/4本/28打点/9盗塁
<脇谷亮太>
【2011年】(30歳)
53試合/打率.175/0本 /10打点/7盗塁
【2012年】(31歳)
1軍出場なし
【2013年】(32歳)
49試合/打率.244/0本/8打点/4盗塁
FAといえば、大活躍する選手が電撃移籍するイメージも多いが、片岡は印象とは少し異なる成績だ。2007年〜2010年までは盗塁王を獲得し、なかでも2010年は59盗塁をマークした片岡だが、巨人移籍前はケガ続き。
2010年秋に右足ふくらはぎを痛めたのを皮切りに、2011年にはキャンプで右足ねんざ、6月に左肩を痛め、7月に右肩を亜脱臼。9月に左肩にメスを入れると、翌年は7月に右手首を負傷し、9月に手術。さらに2013年には左ヒザ裏を痛めるなど、両手両足に古傷を抱える“満身創痍”であった。
しかし、ケガという点では脇谷も同様だ。2011年7月に右手有鉤骨を骨折すると、そのまま戦線離脱し、オフには野手では異例となる右ヒジのトミー・ジョン手術を敢行。2012年は育成選手という憂き目に遭いながらリハビリに励み、復帰した矢先、人的補償になったのであった。
脇谷は2010年には28盗塁を記録しており、決して走れないタイプではない。それでも片岡獲得の決め手はやはり“足”だった。
2009年のWBCで片岡は日本代表に選出。その際、日本代表の指揮を執った原辰徳監督は「片岡はジョーカーだ」と大絶賛。片岡の足に魅せられていた。
そうした経緯もあって、原監督が片岡にラブコール。2人の待遇は天と地にわかれることとなる。
片岡はFA移籍後、年俸は据え置きの9500万円。脇谷も据え置きの2600万円。タイトルホルダーの片岡に比べ、もともとの年俸差はあったが、その待遇はまったく違う。片岡は華々しい巨人デビューを果たし、一方の脇谷は一からのスタートを強いられることになった。
そして、2人の2年間の成績は以下の通りだ!
<片岡治大>
【2014年】(31歳)
126試合/打率.252/6本/28打点/24盗塁
【2015年】(32歳)
113試合/打率.244/10本/36打点/21盗塁
<脇谷亮太>
【2014年】(33歳)
96試合/打率.263/2本/20打点/4盗塁
【2015年】(34歳)
118試合/打率.294/3本/22打点/4盗塁
片岡は脚力こそ見せているが、同時にバックアップとして加入した井端弘和(昨季引退)のしぶとさもあり、大活躍とまではいえない成績を残していた。
一方の脇谷は、もともとの二塁、三塁のポジションに加えて、一塁や外野のユーティリティ性を身につけて躍動。打席数こそ片岡の約半分だが、辛口のファンから「井端でもいい」などと陰口を叩かれた片岡に比べ、チームになくてはならないジョーカーに成長を遂げた。
今季は脇谷が巨人に復帰し、因縁のポジション争いは必至。脇谷の新年俸は2400万円+出来高。片岡は900万円ダウンの8600万円。2人の給料格差は2年前とさほど変わっていないが、脇谷が勢いそのままに片岡をマクるのか、キャンプから要チェックだ。
文=落合初春(おちあい・もとはる)