日本プロ野球屈指の名門球団・読売ジャイアンツ。1934年、大リーグ選抜戦に挑んだ全日本軍を母体に誕生し、以後「球界の盟主」として長きにわたり先頭を走ってきた。45回のリーグ優勝、22回の日本一達成はともにNPB最多記録だ。
また、現代は地方に様々な球団が生まれ、地域密着型の運営が隆盛を誇る一方、「好きなプロ野球チームランキング」で常にトップになるのは巨人。今でもブランドパワーは絶大である。
「巨人のスターは球界のスター、巨人の4番は球界の4番」と称される時代も確実に存在していた。特に1965〜1973年のいわゆるV9時代は、長嶋茂雄の「3」と王貞治の「1」を身につけてみたいと誰もが考えていたことだろう。
では、現在の巨人の背番号事情はどうなっているのか。いくつか例を見てみよう。
いつかは監督になるだろうと思っていたが、こんなに早くその瞬間が訪れるとは驚きだ。
巨人が誇る天才バッター・高橋由伸が昨季限りで現役を引退。そのまま監督に就任して最初のシーズンを迎えようとしている。背番号はルーキーイヤーから着け続ける「24」。それもあってか、今でも「代打、オレ」と告げて打席に立ったところで違和感はなさそうだ。
新体制最初のドラフトで、いの一番に呼ばれたのが桜井俊貴。ノビのある速球と多彩な変化球で打者を封じる本格派右腕だ。
その桜井に与えられた背番号は「21」。V9時代の主力・高橋一三や土曜朝の情報番組でおなじみの宮本和知など、サウスポーの印象があるナンバーだが、もちろん右腕でも歴戦の猛者たちが背負ってきた。
古くは藤田元司(1957年)、堀内恒夫(1966年)といったレジェンドが身に着けている。ただ、2人ともルーキーイヤーの1年間のみで「18」へ変更。新人王を獲得しそのままエースナンバーを継承と、「21」は出世番号の意味合いもあったようだ。
歴代で最も長く「21」を背負ったのが加藤初(1976〜90年)。太平洋(現・西武)から移籍の1976年から現役を退くまで、15年間同じ番号でプレーした。“鉄仮面”というニックネームゆえ地味な印象があるかもしれないが、巨人在籍時は4度の2ケタ勝利にノーヒットノーランを達成した実力者である。
2003年からは木佐貫洋が「21」を身に着けた(2006年まで)。亜細亜大から鳴り物入りで入団すると、速球とフォークのコンビネーションが冴え10勝をマーク。見事新人王に輝いた。2010年以降はオリックス、日本ハムと渡り歩いて、昨季に現役引退。今シーズンからはスカウトとして巨人復帰を果たしている。
1年目は新人王を獲得、その後長きにわたり巨人の先発陣を支え、引退後は指導者・スタッフとしてチームに残る。先代たちのキャリアを見ていると、桜井にはこんな道が用意されているのではないか。背番号から未来を予見するのは興味深い。
文=加賀一輝(かが・いっき)