プロ野球史上に残る「トンズラ助っ人」として有名なのがスノーだ。貿易会社の社員として日本にやってきたが、かつてはマイナーでのプレー経験があり、日本ハムの入団テストを受けたところ合格。1974年3月に「脱サラ入団」となった。
「バッキー(元阪神ほか)並みの剛速球」との触れ込みだったが、4月に初月給を受け取ると翌日の2軍戦初登板をすっぽかし、その日のうちに失踪。在籍していた貿易会社を通じて、捜索の末に発見されたが、日本に戻る意思はなく、無期限失格選手となった。
2006年のナ・リーグ最多勝の実績を持つペニー。近年のダメ外国人選手の中でも極めて異例な帰国外国人といえば、この男だ。
開幕5戦目で先発したが、3回1/3、6失点でKO。降板後に右肩痛を訴え、精密検査をしたものの異常なし。
すると、「アメリカの病院じゃないとわからない」と言い出して一時帰国。そこでも異常はなく、渋々再来日したものの、練習場から姿を消すなどあからさまにやる気のない行動で、5月には退団となった。
帰国直後、自身のツイッターに書き込んだのがこれだ。
It's great to be back in the states!!!!!(アメリカに帰ってこられて最高だぜ!)
開いた口が塞がらない……。そして、ペニーはアメリカのメディアに帰国の理由を聞かれ、「肩を痛めていたにも関わらず、先発で120球を投げるよう要求された。頭にきた。自分を守らなければならなかった」と語った。
64球しか投げてないだろ、と突っ込んだファンも多いはず。
2007年から4年連続でロイヤルズのローテーション投手として投げ、「バリバリのメジャーリーガー」の肩書きで来日したバニスター。巨人でも先発の軸として期待されたが、3月11日に東日本大震災が起きると原発事故の不安から無断で帰国。
球団は再来日をうながしたが、恐怖が払拭されないとして応じず、結局「もう野球はやらない」と引退した。
日本人も大混乱に陥った未曾有の災害のなか、ましてや異国の地であったバニスターの恐怖感は十分に理解できる。
脂の乗り切った時期に義を通して引退を決断したバニスターだが、日本での快投を見たかった気もする。帰国後は2015年からレッドソックスのスカウトを務め、今年から投手コーチ補佐に就任した。
記憶に新しいのはグリエル。2014年にキューバから鳴り物入りでDeNAに入団し、翌年もキューバ国内リーグが終わり次第、弟のルルデスJr.とともにチームに合流する予定になっていたが、ケガの治療を理由に来日せず。
球団側は奔走したが、窓口であるキューバ政府から明確な回答がないまま開幕を迎え、2015年4月2日についに契約解除に至った。
その後、2016年にグリエルは亡命。アストロズと巨大契約を結んだが、再来日しなかったのはメジャー側からのタンパリング(事前交渉)があったのではないかといわれている。
文=落合初春(おちあい・もとはる)