日本にプロ野球が誕生し、はじめて公式戦が行われたのが1936年4月29日のこと。甲子園球場で「第1回日本職業野球リーグ戦」の幕が開けた。だが、巨人はこの時期、アメリカ遠征を行ったため、この栄えある最初のリーグ戦には参戦できなかった。
そんな巨人がアメリカ遠征から帰国後、最初に行われた公式戦が1936年7月1日、戸塚球場で開幕した「連盟結成記念日本選手権大会」だ。
一回戦の相手は名古屋軍。しかしこの試合、巨人は8対9と敗れてしまう。野球の本場で揉まれてきた実力は何処へ……。雪辱に燃えた巨人の次の試合が、7月3日に行われた大東京戦だった。
この試合、巨人は一回裏に、「史上初の三冠王打者」として球史のその名を刻むことになる3番・中島治康の二塁打などで2点を先制。5回には、中島を中心に連打を浴びせ、さらには重盗をからめる積極的な攻撃で一挙6点をあげ、試合の趨勢を決定づけた。
守っては、先発・畑福俊英が6回まで被安打2、1失点の好投。7回からは、のちに「史上初の通算300勝投手」になるヴィクトル・スタルヒンが見事なリリーフを見せ、10対1で勝利。攻めてつかんだこの勝利が、巨人軍の記念すべき1勝目、となったのだ。
巨人軍最初のスターのひとり、中島治康の伝説についてもおさらいしておこう。初勝利から12日後の1936年7月15日、山本球場での大阪タイガース戦で「巨人軍初本塁打」を記録したのも中島だった。
余談だがこの中島、上述したようにプロ野球史上初の三冠王を1938年秋季リーグで達成(打率.361、10本塁打、38打点。ただし、「三冠王」としてクローズアップされたのは、1965年に野村克也[当時、南海]が戦後初の三冠王を達成したとき)。
やはり、打つべき主砲の打棒こそが勝利への近道、ということなのではないだろうか。
閑話休題。
以降、80余年のときを経て、巨人軍は今年、12球団史上初となる大記録達成に挑んでいる。それが「球団通算1万号本塁打」だ。
中島が放った第1号から、昨シーズン終了時点で通算9895本塁打を打ち続けてきた巨人。今季、開幕時で残り105本だった1万号への歩みは、交流戦終了時点であと66本にまで迫った。なんとか今季中には達成できそうな偉業なのだ。
勝つのが難しいのではれば、せめて来場したファンへの思い出としてホームランを重ねて欲しい。その一歩一歩、一本一本の積み重ねが、次の勝利と「球団通算10000号」の偉業に近づく鍵になるのではないだろうか。
文=オグマナオト