1915年、各地方大会を勝ち抜いた10校の代表校によってその歴史が始まり、今日まで続く高校野球。100年後の今年、その「レジェンド10」のうち、なんと2校も地方大会を勝ち抜き、甲子園に帰還することとなった。その2校とは早稲田実業と初代優勝校・京都二中の流れをくむ鳥羽だ。開幕前から注目度の高いこの2校の100年前の戦いぶりを振り返ってみたい。
100年前、1915年に開催された「第1回全国中等学校優勝野球大会」に出場したのは東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区で予選を勝ち上がった9校。そして、春に東京都下大会で優勝した早稲田実業の計10校だった。
当時、中等球界No.1バッテリーと称された臼井林太郎・岡田源三郎を擁し、優勝候補筆頭と目されていたのが早稲田実業。ところが、2回戦(準決勝)で伏兵・秋田中に敗退してしまう。敗因は油断だった。
当時はまだ、野球は都市部の競技、という認識が強かった時代。東京代表の早稲田実業にはその驕りがあったのか、無謀なホームスチールを試みるなど攻め方が淡白に。結局、秋田中相手に1点しか奪えず、1−3で敗退してしまう。
早稲田実業を破って勢いに乗っていた秋田中と決勝戦で対峙したのが鳥羽の前身、京都二中だった。
試合は投手戦のまま進んだ7回表、秋田中がエラーで出たランナーをタイムリーヒットで返し、先取点を獲得。対する京都二中も8回に四球とエラーで同点にし、試合は延長戦に突入する。そして、延長13回裏の京都二中の攻撃。エラーで出た走者が二塁へ盗塁。1死後、セカンドライナーを二塁手が落球、送球を一塁手が落球するというダブルエラーで京都二中がサヨナラのホームを踏んだ。
こうして、京都に中が初代優勝校の栄誉を手にした。
鳥羽高と早稲田実業も含め、第1回大会に出場した10校の現役部員は、当時の復刻ユニホームを着用して6日の開会式で入場行進を行う。100年前の先輩たちの思いも胸に、後輩たちの新たな戦いが間もなく幕を開ける。