1月13日、阪神で大活躍したマット・マートンが現役引退を表明した。2010年に当時のNPB歴代最高のシーズン214安打を記録し、阪神打線を力強く支えた名助っ人だ。在籍6年で通算打率.310の好成績も光る。
しかし、マートン来日時の前評判はそれほど高いものではなかった。
2010年の来日時、阪神は難しい局面を迎えていた。中堅・赤星憲広が33歳の若さで電撃引退。安泰だったはずの1番・中堅にぽっかりと穴が開いていた。
そこに補強されたのがマートンだった。助っ人外国人選手に関しては長い期間をかけて調査することも多いが、マートンは赤星引退後の調査開始。緊急補強といったスケジュール感で獲得された。
ポスト・赤星の名目で来日したマートンだが、まず、ファンの焦点は守備に注がれた。メジャー通の評価はもちろん平凡。マートンの打撃よりも中堅を守れるのかに議論は絞られていた。
今振り返るとマートンの実績はすさまじかった。2006年にはカブスで144試合に出場し、打率.297、出塁率.365をマーク。しかし、その後はメジャーの分厚い外野陣に食い込めず、徐々に3A暮らしが長くなっていた。
それでも来日前年は3Aで97試合、打率.324、12本塁打、79打点、出塁率.389を記録。このクラスのアベレージヒッターが来日することはまずない。その上、マートンは契約金5000万円、年俸1億円(推定)。結果論を抜きにしても高成績に対して極めてお買い得な選手だった。
しかし、ファンは疑心暗鬼だった。なぜなら阪神は2008年にルー・フォード、2009年にケビン・メンチを獲得し、大失敗を喫していた。
実はフォードもメンチも成績のタイプはマートンと似ていた。フォードは2004年にツインズで打率.299、出塁率.381を記録。メンチも2005年にレンジャーズで打率.264、出塁率.328、25本塁打を記録していた。
だが、3人ともに「旬が来日の4年前」という共通点があり、マートンのメジャー実績は前任の2人よりも落ちた。
「食肉を加工するのは親会社が違いますよ」
メンチからマートン(マトン)の流れは笑い話にされるほどだった。
マートンが活躍できたのは、実力が頂点で留まり続けていたからだろう。メジャーで出場機会を失いはじめた2008年からも3Aで出塁率3割台後半を落とした年はなかった。
これは阪神で伝説になったランディ・バースの系譜だ。バースも来日前年に3Aで68試合に出場し、打率.290、18本塁打、出塁率.429をマーク。それ以前も3AではOPS1.000前後をコンスタントに記録していた。
スピードボールに弱くメジャーでの活躍機会を失っていたが、3Aでは年間通して出場すれば30本塁打を打つ実力があった。
下り坂でも上り坂でもなく、コンスタントに結果を残している好素材。毎年数多くの助っ人が異国での飛躍を求めて来日するが、この条件を満たす選手はほとんどいないといっても過言ではない。
阪神に限らず、マートンの成功は3A以上メジャー未満に留まる選手を口説く材料になるのではないだろうか。マートン2世の登場にも期待したい。
文=落合初春(おちあい・もとはる)