一昨年まで横浜高を率いた名将・渡辺元智氏が監督に就任したのは1968年のこと。それ以降、横浜高出身で大洋、横浜、DeNAに入団した選手は15人強(大学、社会人経由、他球団からのトレードを含む)を数える。やはり他球団と比べると、地元の特定の強豪校の選手を重宝する割合は多い。
一方、横浜高出身で、DeNAに在籍しなかった大物選手も少なくない。代表的なところでいえば、1980年夏の甲子園の優勝投手・愛甲猛(元ロッテほか)。そして、忘れられないのは「怪物」松坂大輔(現ソフトバンク)。日本球界に復帰する際には「最後は横浜で」とファンがDeNA入団を熱望。「横浜つながり」という意味で、DeNAファンにとって印象深い選手だ。
現在の「横浜高→DeNA」という進路を辿った代表格といえば、筒香の右に出る者はいない。球界を代表するスラッガーとして侍ジャパンの4番も務めた筒香だが、その怪物ぶりを示す逸話は横浜高時代から事欠かない。横浜高の練習グラウンドのライトフェンスには「筒香ネット」が存在することはつとに有名だ。
そして、西武からDeNAに移籍したゴメスことG.後藤武敏も横浜高時代から勇名を轟かせていた。
桑原将志の活躍で出場機会が少なくなってきた荒波翔は同学年の成瀬善久(現ヤクルト)とともに甲子園出場。その1年後輩にあたる石川も横浜高時代は涌井秀章(現ロッテ)とともに甲子園で活躍した。
また、筒香の1年先輩には、遊撃のレギュラーに定着した倉本寿彦がいる。そして、代打要員として定着しつつある乙坂は筒香の3年後輩。年齢差があり横浜高でチームメイトとしては同じベンチに入ることはなかったが、筒香と乙坂は親しい間柄で知られている。
今後も逸材の輩出が見込まれる横浜高。DeNAとのパイプは、今後も維持されるのだろうか。DeNAには今後も脈々と横浜高出身選手の入団が続き、「地元密着型球団の先頭を走ってほしい。
文=元井靖行(もとい・やすゆき)