前回までこのコーナーでは、マスコットの“中の人”として史上初めて1000試合出場を果たした「マスコット界のパイオニア」島野修を取り上げた。
島野が1000試合出場を達成したのが1996年のこと。最終的には1175試合出場という記録を残し、1998年に現役を引退した。あれから幾年月。今年、さらなる偉業を達成する男が現れた。ご存じ、東京ヤクルトスワローズのマスコット・つば九郎だ。雨天順延などがなければ、今週6月26日(金)の巨人戦(静岡)で「主催1500試合連続出場」を達成する。改めて、つば九郎1500試合の歩みを振り返ってみよう。
つば九郎の初お披露目は1994年3月31日、ヤクルトスワローズ激励会でのこと。その後、同年4月9日対阪神戦(神宮)で公式戦初出場を果たした。
「つば九郎」の名前はファンからの公募で決定した。応募総数はなんと3万4644通。ツバメの別名「つばくろ」を由来とし、さらに「野球は9人で9回まで戦うゲーム」であること、「“苦労”して接戦をものにしてほしい」という意味合いも付加された。
当時の酒井球団社長も、「古めかしくもあるが、カタカナ全盛の時代に古い言葉をひらがなと漢字を使って表現した。逆にそれが新鮮。それに結構かわいい愛称になった。ちびっ子ファンや女性にも親しんでもらえるのでは」とお気に入りだった。
2008年7月10日の対横浜戦で主催1000試合連続出場を達成したつば九郎。記者会見では「まだまだつうかてん。2000しあいめざします」と、珍しく前向きなコメントを残した。もっとも、自身のブログでは「2000しあいだと、あと15ねん。そのころは、ぼく、かんとくだったりして!?でへへ」と、いつもと変わらぬ“つば九郎節”も。
なお、上述した島野の1000試合出場は阪急時代のブレービー、オリックス時代のネッピーを足してのものであり、あくまでも“中の人”島野修個人としての記録。単体マスコットによる連続1000試合出場は、この時のつば九郎がマスコット史上初めて、とされている。
今回、1500試合連続出場の偉業を達成するつば九郎。だが、彼の功績は「試合外」の取組みも大きい。
まずは、『つば九郎のおなか』『みんなで、えみふる』『成鳥 つば九郎』などの出版活動だ。また、ブログもマメに更新し、「物言うマスコット」としてメディアを常に賑わせている。
そして、あまり知られていない活動に「つばさんぽ」がある。これは、つば九郎が本拠地である東京23区を訪問し、新規のスワローズファンおよびつば九郎ファンを獲得していくという企画だ。2009年12月25日に行われた契約更改で、つば九郎本人が「ますこっととして1ばんになりたい」と地元との触れ合いを強く要望したことから実現。当初は2010年度の企画として始まったが、以降、つば九郎のライフワークとなり、今年も2月に新宿区で行われた「消防防災フェア“四谷2015”」を訪問した。また、つば九郎が忙しい場合は妹のつばみが各地で行われる祭りやイベントに参加したり、商店街を練り歩くことで、地域振興に励んでいる。
今回の1500試合出場記念として、球団サイドも盛り上げに努めている。8月16日(日)の阪神戦で記念イベントの開催を決定。つば九郎の言葉が30個詰まった「つば九郎1,500試合連続出場記念 つば九郎名(迷)言集 まいにちめくれるかっ!(かり)」 がセットになった「1,500試合記念つばちけ」を1500枚限定(外野自由席)で販売する。
また、記録達成予定日である6月26日から、スマホアプリ「LINE」用の公式スタンプ第2弾「つば九郎スタンプ2 東京ヤクルトスワローズ」の販売を開始。第1弾ではイラストタッチだったつば九郎から一転、写真タッチと直筆コメントで、よりリアルなつば九郎スタンプになっている。