3月27日、ついにプロ野球が開幕を迎えた。開幕戦はプロ野球界にとって「元旦」とも言うべき、大事な1日。決して143試合の中の、ただの1試合ではない。
キャンプやオープン戦があったとはいえ、野球ファンにとっても、やっと迎えた「球春到来」の日。心も体も躍り出すほどの気分となるはずだ。そんな開幕戦で起こったプロ野球史に残る出来事を紹介する。
1958年、東京六大学リーグの本塁打記録を塗り替え、「ゴールデンルーキー」と鳴り物入りで巨人に入団した長嶋茂雄。4月5日、後楽園球場での国鉄との開幕戦に「3番・三塁手」でスタメン出場する。しかし、その長嶋の前に立ちはだかったのは国鉄のエース・金田正一。前年28勝を挙げ、最多勝を獲得した左腕は大物ルーキーに対して、4打席4三振と完璧に封じ込めた。
デビュー戦でプロの洗礼を受けた長嶋だったが、その後は発奮し、新人とは思えない活躍を見せる。シーズン途中からは4番を任され、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。長嶋のプロ1年目は打率.305、29本塁打、92打点と本塁打、打点の二冠王を獲得。打率は大阪タイガースの田宮謙次郎に次ぐ2位だった。新人王に選ばれ「ミスタープロ野球」の道を邁進するのであった。
1982年4月3日、横浜スタジアムで行われた大洋vs阪神の開幕戦。阪神の先発・小林繁は序盤から大洋打線を無失点に封じ、順調なピッチングを続けていた。味方打線も3回に先制点、8回に追加点を奪い、9回表を終え2−0。小林の完封勝利が目前となってきた。
しかし9回裏、小林は大洋打線の反撃を受け、2点を失い同点に。なおも2死一、三塁と一打サヨナラのピンチを迎える。ここで小林と若菜嘉晴のバッテリーは、満塁策を選択。大洋の高木嘉一が打席に立つと、若菜が立ち上がるも、2ボールとなった時の3球目、小林の投じたボールが大きく逸れてしまう。三塁走者が生還し、2−3で大洋のサヨナラ勝ち。サヨナラ暴投というあっけない幕切れだった。
1994年4月9日、西武球場(現西武プリンスドーム)で行われた西武vs近鉄。近鉄・野茂英雄は自慢のストレートとフォークボールが冴え渡り、8回まで無安打、12奪三振の完璧な投球を展開する。0−0で迎えた9回表には近鉄の4番・石井浩郎の3ランで好投を続ける野茂を援護射撃。野茂のノーヒットノーランへの機運が高まっていく。
しかし、前年のパ・リーグ覇者である西武がここから意地を見せる。清原和博がノーヒットノーランを砕く二塁打を放つと、その後、1死満塁とチャンスを広げ、野茂をマウンドから引きずり下ろし、近鉄はストッパー・赤堀元之で逃げ切りをはかる。ここで打席に入った伊東勤が、7球目、高く浮いたボールを強振。打球は大きな放物線を描き、そのままレフトポール際の外野スタンドへ吸い込まれた。開幕戦史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打という劇的な幕切れとなり、打った伊東にとっては節目の通算1000安打がメモリアルな一打になった。
2005年3月26日のパ・リーグ開幕日。最も注目を集めたのは、千葉マリンスタジアム(現QVCマリンフィールド)で行われる新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの記念すべき初陣だった。初代監督・田尾安志監督がその大事な船出の試合を託したのがエースの岩隈久志(現マリナーズ)。岩隈は完投し、ロッテ打線をわずか1失点に抑えた。3−1で勝利し、楽天に初白星をもたらした。
ところが、初勝利の余韻がまだ残る翌27日、楽天はロッテ先発・渡辺俊介の前に抑え込まれ、0−26という大敗を喫した。楽天の苦難はこの後も続き、初年度は38勝97敗1分と最下位に終わったのだった。