プロ野球界には、サイドスローやアンダースローのピッチャーが、過去も現在もそれなりに存在する。しかし、彼らとは一線を画するのが中崎雄太(西武)だ。宮崎・日南学園高出身の中崎は、2008年秋のドラフト1位で西武に入団したサウスポー。
当時は最速146キロの本格派で、かつての大エース・東尾修がつけていた背番号21をもらっているように、大きな期待をもって迎えられていた。
しかし、1軍での初出場は5年目の2013年。7試合にリリーフとして登板するも、炎上するケースも多く、その年の防御率は9点台。その後、血行障害等の手術をしたこともあって、飛躍のきっかけも失いかけていた。
そこで、一念発起し、今年の3月から超極端なサイドスローに転向。これが功を奏しつつあるのだ。
中崎は、ランナーがいない時からセットポジションで投げるのだが、このセット時の体の位置からして極端なスタイル。左投げなので、軸足である左足はプレート、そして右足は、キャッチャー側に置くのが普通。しかし、中崎の右足は、一塁ベンチの方向に置いている。そこから、そのままインステップで踏み出す。しかも、ボールをリリースしたあともファースト側(と言うか一塁ベンチ方向)に、ぴょんと何歩か飛び出す(と言うか軽く小走り)。この飛び出し距離が常識はずれのため、テレビカメラのアングルによっては一瞬画面からいなくなってしまう。まさに「消えて」てしまうのだ。
かつての速球は封印し、球速は130キロにも満たない。それでも、とくに左打者は、大きく角度をつけた投球位置と緩急に手こずり、いかにも打ちづらそう。かつて阪神の遠山奬志が巨人の松井秀喜を完璧に封じたように、中崎も左キラーとして戦力になれるかどうかがポイントになってくる。
中崎の広島との縁はふたつ。ひとつは、広島のクローザーとして君臨する中崎翔太が実弟であること。学年では2つ下の翔太も、同じ日南学園高出身だが、弟はドラフト6位入団だった。
そして、もうひとつが西武の2軍コーチが元広島の清川栄治であること。清川コーチといえば、まさに変則左腕の代名詞のような投手で、アラフォー以上の野球ファンにはなじみ深い。清川コーチ自身がプロ入り後に出番を求めてサイドスローに転向し、また実績を残したこともあって、コーチを歴任した古巣の広島やオリックスでも、「サイド化」の手助けをした投手は多い。
中崎の目標のひとつに、「弟と日本シリーズで投げ合いたい」というのがあるという。6月15、16日は交流戦の広島戦で登板。いずれもほぼ試合が決している場面での出番だったので、兄弟対決は実現しなかった。じらされるほど到達したときの喜びが大きいのは世の常でもある。これは来たるべき時を待ちたい。
まだ、サイド転向から3カ月あまり。逆に言えば、3カ月でこのレベルまで持ってこられたのだから、中崎のピッチングには、まだまだブラッシュアップの余地はあるはず。マンガ『ONE PIECE』の友情ストーリーに涙するという中崎雄太。6月18日には2軍落ちとなってしまったが、「変則王」になれるかどうか、今後も注目だ!
文=藤山剣(ふじやま・けん)