第一次小川政権でのチーム成績は以下の通りだ。
■2010年
4位:59勝36敗3分(5月より監督代行)
■2011年
2位:70勝59敗15分
■2012年
3位:68勝65敗11分
■2013年
6位:57勝83敗4分
■2014年
6位: 60勝81敗3分
2010年5月に高田繁監督の休養に伴い、ヘッドコーチから監督代行に就任。就任当時は13勝32敗1分で借金19を抱え最下位に低迷していたが、シーズンが終われば4位。小川監督就任後は59勝36敗3分であわやCS進出の快進撃「メークミルミル」を作り上げた。
特に選手の起用では素晴らしい眼力を発揮した。1番・青木宣親、2番・田中浩康をほぼ固定すると、畠山和洋をレフトで起用し、川端慎吾をショートで積極起用するなど、その後のヤクルトを支える選手を次々と発掘。翌2011年のCSでは高卒ルーキーの山田哲人を1番スタメンに抜擢した。
1999年から2007年まで長きに渡り2軍監督を務めたこともあり、若手を見る目は抜きん出ている。
2013年、2014年は投手陣が崩れて最下位に沈んだが、山田、川端、雄平、畠山が主力に成長し、大きな財産を残した。2015年のリーグ優勝の基盤を整えたともいえる。
小川監督の采配の特徴は「焦らない」ということだ。チーム好調時でもケガ人や投壊の問題には悩まされたが、先発ローテを巻いて勝ちを拾いにいく戦術はとらなかった。
野手の起用は先述の通り、幾多の大当たりを生み出している。バレンティンが一際輝いたのも第一次小川政権のときだった。
今季は畠山や川端が長期離脱し、来季はその復活を願いたいところだが、小川監督は「教え子」にはこだわらないだろう。彼らの台頭の裏には世代交代があり、福地寿樹、宮出隆自、宮本慎也、藤本敦士らが余力を残して引退している。
適材適所を見つけながら、ひとつずつチームを育てていく。第一次政権時に「打のヤクルト」を作り上げた小川監督。次なるチームはどんなカラーになるのだろうか。
文=落合初春(おちあい・もとはる)