週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

今季は中日・福田が台頭 遅咲きで活躍したスラッガーたち!

 今季、中日・福田永将の活躍が目立っている。オープン戦をチームトップの成績で終えると、開幕3戦目には代打で登場して今季初本塁打を放った。その後、森野将彦のケガで一塁手としてスタメン出場するようになり、そして、4月18日の広島戦ではルナに代わり4番に座るなど、今季の中日には欠かせない存在といえるだろう。


 福田は高校時代、1年生から強豪・横浜高で正捕手を任され、センバツ優勝も経験した選手。プロ入り後はなかなか結果が出ない状況が続いたが、プロ9年目の今季、ついに大輪の花を咲かせようとしている。福田のように雌伏の時期を乗り越え、遅咲きで活躍したスラッガーたちを紹介したい。

山?武司


 1986年に愛工大名電からドラフト2位で中日に入団。元々は捕手だったが、3年目の途中から外野手に転向。2軍でタイトルを獲得して活躍を見せるも、なかなか1軍のレギュラー定着には至らなかった。しかし、プロ9年目の1995年に16本塁打を放つと、翌1996年には39本塁打と前年の2倍以上のアーチを架けた。松井秀喜(当時巨人)を抑えて、本塁打王のタイトルを獲得。以後、中日の中軸打者として欠かせない存在となる。

 中日、オリックスで監督とそりが合わず、低迷した時期もあったものの、楽天移籍後に田尾安志、野村克也両監督との出会いにより、さらに打撃に磨きがかかった。39歳となる2007年に43本塁打、108打点と二冠王になり、キャリアハイの数字を残した。その後も活躍を続け、門田博光氏(元南海ほか)に続く2人目の40代で100号本塁打、41歳で100打点に到達は最年長記録だ。

嶋重宣


 東北高時代は投げて打っての活躍。1994年のドラフト2位で広島に入団した。FA権を行使して巨人に移籍した川口和久がつけていた背番号34を引き継ぎ、周囲から大いに期待をされる。しかし、投手としては結果を出すことができず、プロ5年目の1999年に野手へ転向となった。

 転向初年度に1軍では47試合に出場して3本塁打と、打撃センスの良さを見せ、2000年も41試合に出場するが、その後は1軍での出場が減少していく。それでも、2軍では首位打者を獲得するなど、結果を出していた。

 プロ10年目の2004年、前年秋から内田順三コーチと二人三脚で打撃改造に取り組んだ成果が実り、また、金本知憲が阪神に移籍したことにより、外野のポジションが1つ空いたチーム状況にピタッとはまった。右翼手のレギュラーに定着し、ヒットを重ねていく。最初は2番だった打順が3番に変わっても勢いは変わらず、最終的には打率.337で首位打者を獲得。本塁打数も32本と結果を残した。“背番号55”、“左のスラッガー”ということもあって、付けられた愛称は「赤ゴジラ」。同年の流行語大賞にもノミネートされた。

雄平


 前出の嶋は、東北高の先輩にあたり、高校時代は「嶋以上の逸材」と呼ばれた高井雄平。150キロを超えるストレートを武器に超高校級サウスポーとして名を馳せた。2002年のドラフト会議でドラフト1位指名され、ヤクルトに入団する。プロ1年目から1軍で先発登板を果たし、5勝を挙げる活躍を見せた。プロ4年目の2006年には、先発からリリーフに配置転換されるが、課題としていた制球難を克服することができず次第に登板機会が減少。2009年のシーズン終了後に野手へ転向する。

 2軍で経験を積み重ねていき、2012年には開幕1軍に抜擢される。1軍で初安打をマークし、シーズン終盤は1番打者に。翌2013年にはプロ本塁打を放ち、ブレイクの兆しを見せるも、その後、試合中に右膝を負傷。じん帯断裂でシーズンを棒に振ってしまう。

 そして昨年の2014年、主に5番打者として主軸を任され、5月には月間MVPを獲得。最終的には打率.316、23本塁打、90打点と自己最高の成績を残し、ベストナインを受賞した。


 スラッガーは、俊足巧打の選手よりも大成しにくい。それでも、チームは我慢して使い続け、選手も心が折れることなく努力した結果、遅咲きではあっても、見事に1軍で活躍したスラッガーたち。紆余曲折を経た野球人を、応援せずにはいられないだろう。さて、これから、福田に続いて、開花する選手はいったい誰だろうか?

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方