◆この連載は、高校時代を“女子球児”として過ごした筆者の視点から、当時の野球部生活を振り返るコーナーです。
大好きな野球と触れあう毎日は本当に楽しかったし、プレーヤーとして活動することは私自身に大きな変化をもたらした。
じつは野球部に加わるまでの1年、私は体調を崩しては保健室に駆け込む日々を送っていた。高校生活をいまいち楽しみきることができず、ため息や愚痴をこぼす中で数々の助言をくれたのが養護教諭だった。
「やってみたら?」
担任から野球部へ誘われているという話をしたところ、背中を押された。マネージャーではなく選手として参加することに不安がる私を励まし、気持ちを上向けてくれる。
「やったら、体の調子も良くなるかもよ?」
まさにその通りだった。あれだけ痛みを訴えていた胃腸はすっかりおとなしくなり、生活リズムも良くなっていく。やはり一番好きなものに接するということは、何よりの特効薬なのだ。
それでも、複雑な気持ちが完全に晴れることはない。紅一点という立場が生む疎外感、距離感は常にあった。いわば“女子球児の孤独”。もともと内向的な性格がそれを増長させる。
更衣室では女子マネージャーと、グラウンドでは男子部員とともに行動する。どっちつかずの宙ぶらりんな存在だな、と感じることもあった。会話こそ交わせど、それぞれの雑談に完全に入り込むことができないので、ただ第三者として様子を眺める。今、自分は部員とマネージャーの“中間点”にいる。そう考えると不思議な感覚に陥った。
他校との練習試合でも、グラウンドに出るまではマネージャーと一緒に過ごした。案内された更衣室もしくは廊下の隅で着替えるのだが、私だけまとう服が違う。皆はTシャツにジャージ姿、私はユニフォーム。それまでは同じ制服を着ていたのに、そこでラインが引かれる。マネージャーと選手にハッキリ分かれるのだ。
好きで選手をやっているのだから文句は言えないが、ほんの少し寂しさもあった。気持ちを共感しあう相手がいないのは私だけだ。男子部員も、女子マネージャーも複数いるが、女子部員はひとりだけ。この、微妙な感覚を分かちあってくれる存在はいない。練習試合で数多くの学校を訪れたが、相手校に同士を見つけることもなかった。
この“中途半端な立ち位置”にいたことで遭遇した出来事がある。とある試合の帰り、私は相手校の敷地内で迷子になった。言い方は悪いが、置いてけぼりにされたのだ。
男子部員は特に部屋を借りることもなくその場で着替えをおこなうので、ミーティングを終えた私は道具を持って室内へ向かった。一足先に引き揚げたマネージャーたちと同じ更衣室に荷物を置いてある。
しかし、初めて踏み入れた校舎の位置関係を把握しているわけもなく、自分がどこにいるのかわからなくなった。もちろん、マネージャーの姿は見当たらない。
さすがに慌て、探しまわった挙句、用務員さんに場所を教えてもらった。向こうとすれば、野球のユニフォームを着た短髪の女の子がうろうろしていることに驚いただろう。
男の子でもなく、女の子でもない立場――それを改めて実感した日だった。