昨年の高橋光成同様に「1位指名公表」で西武が獲得したのは明治神宮大会ノーヒットノーランで鮮烈な全国デビューを飾った豪腕。順調に成長し続けた男は今春、右肩を故障も、その評価は下がることはなかった。
ドラフト会議前日、西武は多和田の1位指名を公表した。しかし、これまで数々のドラマを生んできたドラフトである。「肩の状態はよくないし、指名されるとは予想していなかった」と、多和田本人は信じきれないところがあった。
ドラフト会議が始まる15分前。多和田は記者会見が行われる会場に入った。大勢の報道陣が詰めかけた光景に「喉がパサパサになった」。指名されるのか、されないのか――。不安はピークに達した。
春のリーグ戦の最後に右肩を痛めて以降、マウンドに立つことはできなかった。8月末、多和田の元を訊ねた時、「とりあえず、早く治ってくれって感じですね」と、右肩に訴えるように苦笑していた姿が忘れられない。投げられない悔しさ、アピールできない焦り…。様々な思いが駆け巡り、不安と戦い続けた5ヶ月だった。
緊張のなか、始まったドラフト会議。楽天、横浜…と、1位指名の選手名が読み上げられる。そして、西武。公言通りの1位指名だった。他球団からの指名はなく、西武の交渉権が確定した。
「指名されないのではないかとも思っていたので、とりあえず、よかったと思いました」
不安から解放された瞬間、「人生で一番に近い」と言うほどの安堵感に包まれた。
多和田真三郎の名前が一躍、全国に広がったのは2012年の明治神宮大会だろう。1年生だった多和田は東北地区代表決定戦で3連投。全25イニングを無失点に抑え、創部48年目の初出場に導いた。そして、明治神宮大会の初戦で先発。大きなステップ幅で踏み込み、重心の低い独特のフォームから、浮き上がるような球筋のストレートを見せつけ、国際武道大を相手に21年ぶりとなるノーヒットノーランを成し遂げたのだ。
「あの試合は、7回くらいに言われて気づきました。特別な感じはなく、普通に投げただけです。今となっては、もう、過去のことですね。でも、ノーヒットノーランで注目されるようになって、その分、周りに見られているなという感じもあった。頑張らないといけないという気持ちになれたので、いい経験だったと思います」
こうした記録を達成すると、その後、ハードルが高くなり、見えない期待でつぶれることもある。また、周囲の〜お節介〜があったりもする。実際、「いろんな人の話を聞いて、こんがらがったりした」こともあり、2年時は思うような結果を出すことはできなかった。多和田が自身で納得いく感覚をつかんだのは3年春だ。
次回、「連投でつかんだもの」
(※本稿は2015年11月発売『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』に掲載された「32選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・高橋昌江氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)