今年、高校球界では名物監督たちの勇退報道が相次いでいる。今年限りで指導者人生の幕を下ろす決意をした名将たちの功績と最後の戦いぶりを改めておさらいしておこう。
甲子園1回戦で創成館にサヨナラ負けを喫した天理の橋本武徳監督が、今夏限りで退任する可能性が高くなった。
甲子園通算20勝9敗。選手の自主性を尊重する指導方針で、大型選手をのびのび使いこなし、最後はひらめきで勝利を掴み取るのが橋本スタイル。1986年、1990年の夏に全国制覇も達成した名将だった。
後任は同校OBの中村良二コーチ(元近鉄ほか)が就任予定だ。
甲子園通算成績63勝32敗は歴代1位、春夏通算3回の全国制覇を誇る名将・高嶋仁監督。1980年から智辯和歌山の監督に就任。甲子園のベンチ前での“仁王立ち”がトレードマークだった。厳しい指導方法で知られるが、自身も真夏、真冬でも関係なく、週に3度は高野山で山登りをするなど、自己鍛錬に励むことで常勝軍団を築き上げた。
甲子園1回戦で初出場の津商に敗れた翌日、監督を勇退すると報じられた。9月末に行われる国体まで指揮を執ることは決まっているものの、その後が未定だという。ただ、69歳という年齢や、ノックをやっていないことを考えると、監督を退く日はそう遠くはないだろう。後任には高嶋監督の教え子で元ロッテの喜多隆志副部長が務めることがほぼ決まっている。
上記2人の監督は、最後の夏に甲子園に出場できた幸運な例。全国には、地方大会でラストイヤーの戦いを終えた指導者がまだまだいる。その中でも、今年、激変となっているのが神奈川県だ。代表的な3名を振り返ろう。
今年の神奈川大会で大きなトピックスとなったのが、最後の夏を表明していた横浜の渡辺元智監督が有終の美を飾れるかどうかだった。
1965年に横浜のコーチに就任。1969年から監督を務め、指導者歴は半世紀の50年に達した。甲子園通算成績は51勝22敗(春:23勝12敗、夏:28勝10敗)で歴代3位タイ。春夏あわせて通算5度(春3回、夏2回)の優勝は歴代2位。プロに輩出した選手は愛甲猛(元ロッテほか)、鈴木尚典(元横浜)、松坂大輔(ソフトバンク)、筒香嘉智(DeNA)など50人以上にのぼる。
そんな名将が70歳で迎えた最後の夏。ノーシードということもあり、下馬評は高くなかった。だが、いい意味で期待を裏切る活躍で見事、決勝戦に進出。結果的には準優勝で甲子園出場はならなかったが、最後の相手が長年のライバル・東海大相模だったこと、何度も名勝負を演じた横浜スタジアムが最後の舞台となったことは、渡辺監督にふさわしいフィナーレだったのかもしれない。
今後は総監督という立場に変わり、後任には平田徹部長が就任する。
大会前に、この夏かぎりでの退任を表明していたのが、横浜商大高の金沢哲男監督だ。1983年に就任し、レッドソックスの田澤純一らを育てあげ、横浜商大高を3度の甲子園に導いた。
最後の神奈川大会は1回戦で昨夏準優勝の向上を下す好スタートを切ったが、2回戦で横浜商に敗退。退任後は部長に就き、後任監督の八木澤辰巳コーチをサポートする立場にまわる。
今年5月、慶應義塾の上田誠監督が今夏限りでの退任を表明した。1991年に就任し、今年で24年目。1998年のアメリカ留学を機に「エンジョイ・ベースボール」を提唱。バントは少なく、丸刈りなどの習わしを撤廃している。また、英語の教師ということもあり、練習メニューは英語で伝えている。慶應義塾を春夏通じて4度の甲子園に導いた。教え子には佐藤友亮(元西武)や白村明弘(日本ハム)らがいる。
最後の夏の戦いは、準々決勝で桐光学園に敗退。「悔いはない」という言葉とともにユニフォームを脱いだ。今後は副部長として後任監督の森林貴彦助監督を支える。
「高校野球100年」という節目の年に相次ぐ、ベテラン監督たちの退任。だが、もちろん高校野球の歴史はこれからも続く。名将たちの教えを受け継ぎ、さらに発展させて新時代の旗手となるのは、果たして誰だろうか?