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30年経った今でも、記憶に残る強豪チームがある〜1985夏・PL学園

 今から30年前の1985年。高校野球界には、後世まで語り継がれるような投打のスーパースターが存在した。いわゆる「KKコンビ」である。

 野球ファンで「KK」と聞いてピンと来ない人はいないだろうが、ヤング世代のために改めて説明しておくと、「KK」とは、大阪・PL学園で活躍した桑田真澄(元巨人ほか)と清原和博(元西武ほか)の2人のイニシャルである。野球強豪校にあって1年生のときからベンチ入り。春夏合わせて5回の甲子園大会にすべて出場し、主力として活躍したのが桑田と清原だ。

 その甲子園でのチーム成績は、1年夏・優勝、2年春・準優勝、2年夏・準優勝、3年春・ベスト4、3年夏・優勝。5回のうち4回は決勝まで勝ち進むという、とてつもない成績だった。その「KK」の甲子園での最後の夏となったのが1985年なのである。

 この夏の大阪大会7試合のうち、もっとも得点が接近したのが準々決勝・泉尾高戦での3点差(3−0)。決勝戦は17−0で東海大仰星を破るなど、圧倒的な戦いぶりで大阪代表の座を勝ち取っている。

 そのテンションをキープしたまま、甲子園でも無双状態に突入。大会初戦の東海大山形戦では、29−7という歴史的大勝をおさめた。この1試合29得点は、いまだに春夏通じて最多記録として存在している。これでさらに勢いを増したPL学園は決勝戦まで突き進み、頂上決戦でも宇部商を4−3(9回サヨナラ)で撃破、見事深紅の大優勝旗を手に入れたのであった。

 この大会で、桑田は5試合に登板し、すべて勝ち投手となり防御率は2.08を記録。清原も打率.625(18打数10安打)で5本塁打と大暴れ。両者ともさすがの数字を残した。

 そんな「KK」の詳細な活躍ぶりに加えて、彼らのライバルだった同年代の選手も詳しく紹介されているのが絶賛発売中の『プロ野球&高校野球[1985年]大事典』だ。また、タイトルどおり、高校野球だけでなくプロ野球の1985年ネタもぎっしり詰まっている。


 PL学園野球部は、あの夏から30年が経過した今年、まさかの存続の危機を迎えている。度重なる部員の暴力行為等で、運営側の野球部に対する熱が急速に冷めてしまい、2015年度の新入部員の募集は行われなかった。

 今夏の大阪大会ではベスト8まで残ったものの、準々決勝で大体大浪商に惜敗(1−2)。これにより3年生は引退し、残されたのは2年生部員11人のみに。

 しかもこの11人は、中学野球などで実績を残した野球エリートではなく、全員が一般生徒だという。となると、日本有数の激戦区である大阪大会や近畿大会を勝ち抜いて、甲子園の切符を手にすることは、相当難しいだろう。校歌にあるように、このまま「永遠(とわ)の学園」になってしまうのか……。

 そんなときだからこそ、「KK」が活躍し、PL学園が頂点に君臨した1985年のエピソードの数々が余計にしみるに違いない。

 夏休みは、季節が感じられる屋外に出るのもいいが、冷房の効いた室内で30年前の野球界に思いを馳せてみるのも一興ではないだろうか。

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