地方大会真っ最中の高校野球。地方大会では毎年のように、思わぬ大差がついてしまう試合が起きる。大会序盤で強豪校が登場する試合や、ちょっとしたきっかけで思わぬ大差がついてしまった試合は数多い。今回は過去の地方大会で実現した、記録的な大差がついた試合にクローズアップしよう。
「もう17年も経ったのか……」と思う人も多いかもしれない。高校野球の地方大会史上、最大の点差がついた試合といえば、1998年の青森大会2回戦。122−0という歴史的な差がついた、東奥義塾対深浦(現木造高校深浦校舎)の試合である。
1回表に39点を奪った東奥義塾は、その後も攻撃の手を緩めず、毎回の2ケタ得点を記録。打ちも打ったり、本塁打7本、三塁打21本、二塁打27本、さらに盗塁は78個。これはすべて、東奥義塾だけの記録だ。
当時、各地方によってコールドゲームの規定はバラバラだった。青森県高野連の規定では、7回終了までコールドゲームが成立せず、その結果がこの点差となってしまった。この試合もあって、2000年度からコールドゲームのルールを統一。現在の高校野球の規定は「正式試合となるコールドゲームを採用する場合は、5回10点、7回7点とする」とし、春のセンバツと夏の甲子園大会以外は全てこのルールが適用されている。
この試合以前の記録的大差試合は、1936年の埼玉大会1回戦で起きている。豊岡実(現豊岡)が72−0で松山中(現松山)に勝利した試合だ。これだけの大差がついたのは、松山中の拙守が原因だ。この試合を振り返ると、松山中の投手陣は四死球を44個も与え、守備陣も15失策を記録した。
豊岡実は続く試合も28−0で圧勝すると、準決勝では浦和商を7−3で破り、決勝戦までに合計107点も取っていた。しかし、肝心の大一番・決勝戦では0−1で惜敗。107点のうち2点あれば、地方大会で優勝できたのに……と、「たられば」をいいたくなってしまうほど、何とも残念な結果となった。青森大会での122点差の試合が成立するまで、実に60年余りも破られることがなかった大差試合である。
大差がついた試合とは異なるものの、もう1つ、得点にまつわる記録的な試合を紹介しよう。1931年の南九州大会では、1回戦でこんな試合が起きた。
宮崎中(現宮崎大宮)対熊本中(現熊本)の試合は36−21というスコアで、なんと、両チームで合計57得点も取りあったのだ。なお、勝利したのは宮崎中だ。
当時は金属バットもなければ、ボールの素材も粗悪であり、現在のように打球はそれほど遠くに飛ばなかったはず。また、この大会の他チームのスコアを調べると、両校を除いたチームで2ケタ得点を挙げたチームは数えるほど。この試合で何が起きたのか、定かではない。
勝利した宮崎中は続く2回戦は5−4と1点差で勝利したものの、3回戦では0−10で敗れている。
ちなみに122点を取った東奥義塾は、次の試合ではコールド負けを喫している。前述のように豊岡実も宮崎中も、圧倒的なスコアを記録したからといって、大会を勝ち抜けるとは限らない。やはり、地方大会は甘くないのだ。
敗れ去ったチームの想いを背負って、甲子園出場に向けて戦う球児たち。今年はどんなドラマをみせてくれるのだろうか。