第1回、「伝説の決勝に導かれた中学生」
第2回、「飛躍のきっかけは?」
チャンピオンチーム・日本ハムが1位で獲得した高校生を「外れ外れ1位」と言うべからず。高校野球史に残る伝説の決勝戦に導かれた少年は「憧れのエース」の背中を追い、最速150キロ左腕へと変貌した。
実力が発揮できなかった甲子園から一転、秋には絶好調の時期がやってきた。堀が高校時代のベストゲームに挙げる秋季県大会準々決勝の広陵戦を始め、手応えがあったという。国体でもその夏の甲子園で準優勝を果たした仙台育英と対戦して好投。2対3で試合には敗れたものの、緩急を使い投球の幅が広がった実感があった。
しかし、そのわずか1カ月後、秋の中国大会1回戦で開星に0対7で敗北。自身初のコールド負けを喫した。
「開星にボコボコに打たれて、まだまだだと思い知らされました。ストレートだけでは通用しなかった。変化というか、工夫が必要だと感じました。高校3年間で一番のターニングポイントだったと思います」
またもや県北には厳冬がやってくる。2年目の冬も弛むことなく走りこんだ堀はひと回り大きくなって春を迎えた。130キロ台後半だった球速は最速145キロにまで伸びていた。それでも春季県大会準々決勝の如水館戦では4対6で敗れている。
「春の如水館戦はそんなに悔しくなかったです。実は迫田監督から外角低めのストレートだけじゃ通用しないことを確かめてこいと言われていて、ああその通りだなって。夏に勝つための確認でした」
如水館の率いるのは迫田監督の実兄・迫田穆成監督。こちらも1973年夏には広島商を全国制覇に導いた名将で、広島県内では注目の兄弟監督対決。メディアは「兄・穆成監督に軍配」と報じたが、想定内の負けだったのだ。
その心の余裕を示すかのように堀は最後の夏を駆け上がった。自信を見せたのは4対5で辛勝を収めた準々決勝の広島商戦だ。
「どこかおかしかったんです。腕が遠回りしていて、調子は最悪でした。それでもプレートの位置を変えたり、スライダーを増やしたり、試合中に修正してなんとかやりくりできました」
最悪の甲子園、最悪の開星戦。苦い経験を経て手にした修正力を実感した一戦だった。決勝戦では春に敗れた如水館に完投勝利。2年連続夏の甲子園行きを決めた。
「実は決勝も春と同じ、外角低めのストレート勝負。それでもなんとか勝てました。あとで如水館の選手に聞いたら、5回までに100球投げさせる作戦だったそうですが、スタミナは大丈夫でした」
決勝戦で堀が投じた球数は172球。自己最速を更新する147キロをミットに叩き込む気迫の投球は如水館の戦略を上回った。
甲子園では1回戦で関東一を相手に延長12回1失点完投勝利。この日も初回に制球が乱れ、本調子ではなかったが、またもや試合中の修正に成功し、尻上がりに調子を上げた。
2回戦の富山第一戦では1失点無四球完投勝利。3回戦では木更津総合に0対2で敗れたが、成長を実感できたという。
「初回にすっぽ抜けた球をホームランにされた悔しさもあります。でも、悪いなりにまとめられたと思います」
敗れたとはいえ、木更津総合戦でも9回を103球、2試合連続の無四球完投の好投。最後の夏は臨機応変の投球が光った。
マウンド上で白い歯をキラリと光らせ、打者に向かえばグイグイと勝気な投球を見せる堀。「田口2世」の呼び名も相まって、イケイケな性格を想像していた。しかし、取材してびっくり。物静かで控えめ、学ランに身を包んだ普通の高校生だった。
「実は人見知りな性格で…。普段はあまり目立ちたくないんです」
ドラフト指名後は女子たちがサインをもらいに来るそうだ。
「『はい』って渡して、それだけですね」
堀はにかんだ表情を見せた。「マウンド上では別人になる」という表現がこれほどピッタリと当てはまる選手もいない。一番注目を浴びる投手というポジションだが、大丈夫なのだろうか…。
「野球をやっている間は自然とオン。練習の後、迫田監督の話が終わると一気にオフになります」
パーソナリティーも母性本能をくすぐりそうな天然素材。プロの舞台でどのような化学反応が起きるのか、今から楽しみだ。
(※本稿は2016年11月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「30選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・落合初春氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)