9月17日、福岡ソフトバンクホークスがパ・リーグ優勝を決めた。翌日のスポーツ新聞はもちろん各紙1面での掲載だったが、テレビでの扱いはというと、参議院特別委員会における安保関連法案強行採決のあまりのバトルロイヤルっぷりに押され、放送時間で割を食う形になった。ホークスファンほど、もっともっと取り上げてくれよ〜、と不満だったはずだ。
2008年10月22日、CS第2ステージの第5戦、西武対日本ハム戦で西武が勝利をおさめ、CS優勝と日本シリーズ進出を決めた。
ところが、同日22日、星野仙一北京五輪監督が翌年に控えたWBC2009の日本代表監督を辞退する旨を発表。翌日のスポーツ紙は各紙がこれを一面で伝え、西武のCS優勝の記事は中面へと追いやられた。
これには西武ファン以外からも、「何もこの日に発表しなくても……」「ただ“辞退”しただけで優勝よりも大きく扱うスポーツ紙はおかしい!」といった声が漏れ聞こえた。
1992年10月26日、西武対ヤクルトの日本シリーズ第7戦が行われ、西武が延長戦の末1点差で勝利。3年連続の日本一を達成した。
この年の日本シリーズは投手戦あり、延長あり、サヨナラありと熱戦続きで、「史上最高の日本シリーズ」と呼ぶファンも多い名勝負ばかり。それだけに、日本一に輝いた西武ナインは翌日のスポーツ紙一面を心待ちにしていたのだが……。ここに飛び込んできたのが「貴花田・宮沢りえ婚約へ」という世紀のビッグカップル誕生のニュース。各スポーツ紙がこれを一面で報じた。
当時はまだ「人気のセ」と言われた時代。パ・リーグが目立つためには日本シリーズでの勝利しかない!と西武ナイン、そして西武&パ・リーグファンの意気込みたるや凄まじいものがあった。それだけに、一面を逃した落胆もまた大きかった。
1974年10月12日、この日はプロ野球における大きな時代の節目となった。中日が名古屋球場で大洋を下し、1954年以来20年ぶり2度目のリーグ優勝を達成。それは、1964年から続いていた巨人のV9が終わったことを意味した。
ところが、この中日の快挙をもってしても話題の中心は「巨人」だった。というのも、同日夜、巨人の長嶋茂雄が現役引退を発表。翌日の各スポーツ紙の1面は中日系列以外、すべて長嶋一色だった。
中日の悲劇はまだ続く。14日に名古屋市内で優勝パレードが企画されたのだが、この日こそ「我が巨人軍は永久に不滅です」の名文句が生まれた長嶋茂雄引退試合。中日の“歓喜”は、長嶋によってまたしても隅に追いやられることとなった。
余談だが、1974年の中日優勝の瞬間、マウンド上にいた「胴上げ投手」は若き日の星野仙一。報じてもらえない悔しさは誰よりも知っていたはずなのだが……。
文=オグマナオト(おぐま・なおと)