いよいよ迫ってきた令和最初の日本シリーズ。頂上決戦を制してチャンピオンフラッグを手にするのはどのチームなのか、興味は尽きない。
今回は「日本シリーズ事件簿」と題して、過去に起こった様々な出来事を取り上げていく。思わず息を呑むハプニングから珍事件まで硬軟織り交ぜてお届け。
約70年の年月を誇る日本シリーズの歴史のなかでも、1度しか実現しなかったのが巨人対近鉄というカード。その唯一の戦いとなった1989年のシリーズで事件は起きた。
前評判では有利と言われていた巨人が第1戦からまさかの3連敗。近鉄が一気に押し切るかと思われたが、3戦目のヒーローインタビューで近鉄の加藤哲郎が放った言葉に盟主のナインが奮起して4タテをかましてしまった。
その加藤の言葉とは「シーズンのほうがよっぽどしんどい」という一見普通のもの。しかしマスコミに「巨人はロッテ(この年のパ・リーグ最下位)より弱い」と解釈されて報道されてしまい、それが巨人の闘志に火をつける結果に。
スポーツ選手の言葉はしばしば誇張して伝えられることがあるが、この舌禍事件は加藤本人が挑発的な意図はなかったと否定しているだけにやや後味の悪さは残る。
長嶋・巨人と王・ダイエーによる「ON対決」に湧いた2000年、ミレニアムの日本シリーズ。長嶋茂雄と王貞治(ともに元巨人)が監督として日本シリーズを戦うという国民的行事とも言うべき一戦は、福岡ドームで行われる第3戦と第4戦の間に2日の休養日が設けられるという変則日程での開催となった。
なぜかというと10月24日から26日にかけて「日本脳神経外科学会」に福岡ドームを貸し出していたため。24日と25日はパ・リーグ球団のホームゲーム(第3戦、第4戦)に当てられていたのだが、もちろん日本脳神経外科学会は日程も会場も変更することはできないため、日本シリーズの日程を調整することになったのだ。
結果的には事なきを得たが、あわや水がさされるところだった世紀の一戦。ちなみにこの不手際を受けて、ダイエーは、NPBから「リーグ優勝を目指していない球団」とお叱りを受けてしまった。
2005年に、パ・リーグだけで採用されていたプレーオフを2位から勝ち上がって頂点まで突き進んだロッテ。阪神との日本シリーズでは思いがけない天候に左右されるハプニングが起こった。
千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)で行われた第1戦、ロッテのリードで迎えた7回裏に霧が球場を覆ったことで試合が中断。霧が晴れる予報が出なかったため、そのままコールドゲームになってしまったのだ。
日本シリーズでは過去に雨天コールドが1度だけあったが、さすがに濃霧が原因となったケースは初。今年、釧路で行われた日本ハムと西武の一戦が“日没コールド”となって驚かせたが、それを上回る衝撃度である。
このように20015年の日本シリーズは異例の幕開けとなったが、霧を味方につけたロッテが阪神を圧倒し4タテ。4試合の合計得点が33対4という大差だったことも話題となった。
2年連続で中日と日本ハムの争いとなった2006年と2007年の日本シリーズ。2006年は日本ハムが優勝。中日にとって2007年の日本シリーズは早くもリベンジの機会が巡って格好となった。
その2007年、中日は初戦に負けるも2試合目から3連勝して王手。5試合目のマウンドを山井大介に託した。すると強打で鳴らす日本ハムのビッグバン打線を手玉に取り、完全試合ペースで8回裏まで終える。
しかし、「日本シリーズ初の快挙を見られる!」と誰もが思ったのも束の間、9回の裏に落合博満監督が審判へ歩み寄るとなんと投手交代。岩瀬仁紀がマウンドに上がって3人でシャットアウトし、“継投”での完全試合が達成された。
この采配は物議を醸したが、落合監督はシーズン通り、最終回は絶対的守護神である岩瀬で締める型を優先した。大記録達成という情や色気に流されて試合に負けてしまっては意味がない。残念な気持ちもあるが、チームをしっかりと日本一に導いた決断にあっぱれ!
「日本シリーズ事件簿」というテーマでいろいろと振り返ってみたが、ネタを見つけるたびについ「あったあった!」と子どものようにはしゃいでしまった。
筆者個人としては「ON対決の裏舞台」がヒット。当時報じられていたニュースを思い出してしまうほどのインパクトだったが、さすがにどの球団ももう同じ失態は犯さないだろう。
ちなみに「加藤発言」の騒動が巻き起こった1989年は平成元年。奇しくも今年は令和元年。元年の日本シリーズは何かが起こる!? 信じるか信じないかは、あなた次第です。
文=森田真悟(もりた・しんご)