9月19日、西武・西口文也が今季限りで現役引退することが明らかになった。90年代中盤、「常勝」と呼ばれた西武黄金期のピッチャーが衰えていく中、彗星のごとく現れ西武のエースにまで登り詰めた。通算200勝まであと18勝としていた中での引退だけに、多くの西武ファンは引退の報道に悲しんだに違いない。細身の体から速球と鋭いスライダーのコンビネーションを武器に、躍動した背番号13のプロ野球生活を振り返る。
県和歌山商時代は無名だった西口は高校卒業後、立正大に進学。大学3年秋には東都2部で優勝し1部昇格を果たすも、翌春には1部最下位となり再び2部に降格。西口にとって大学最後のシーズンとなった4年秋は2部優勝、1部再昇格を置き土産に1994年のドラフト会議で、西武から3位で指名を受ける。
西口はプロ2年目の1996年、16勝を挙げ頭角を現す。さらに翌97年は15勝5敗、192奪三振の活躍で最多勝、最多奪三振、沢村賞、リーグMVPとタイトルを総ナメに。続く98年も13勝を挙げ、チームのリーグ連覇に大きく貢献する。この活躍で西口は「西武のエース」と認められるようになった。99年には大物ルーキー・松坂大輔が加入すると先発の両輪として西武投手陣を支える。
2002年は15勝を挙げると同時に、7年連続2ケタ勝利とエースに相応しい成績を収めてきた。
西武のエースとして活躍を見せる一方、西口には過去3度偉業達成を目前にしながら、全てあと一歩のところで逃してきた「悲劇のピッチャー」という一面もあった。
最初の出来事は2002年8月26日のロッテ戦。9回二死までノーヒットノーランを続けてきた西口だったが、小坂誠に中前安打を打たれ大記録を逃す。さらに05年5月13日の巨人戦では、前回のロッテ戦同様、9回二死まで抑え「今度こそ達成か!?」と思われたが清水隆行に本塁打を打たれてしまう。
西口の悲劇はまだ続いた。巨人戦のノーヒットノーラン未遂から約3ヶ月半後、8月27日の楽天戦ではピッチングが冴え渡り、9回まで打者27人をパーフェクトに抑え込む。試合は0ー0の延長戦に突入したが西口は延長10回、沖原佳典に安打を打たれ完全試合がついえた。
先発投手陣の柱として活躍してきた西口だったが、2009年は4勝、10年は3勝と不本意な成績が続き「西口はもう終わったのではないか」という声も聞こえるようになる。11年も前半戦を終え4勝6敗と芳しくない成績だった。しかし後半戦に入ると、西口は全盛期を彷彿とさせるピッチングを見せていく。7月30日のオリックス戦で勝利すると、そこから6連勝と白星を重ねていく。特に8月28日の日本ハム戦では10奪三振で6年ぶりの完封勝利を挙げる。
最下位に沈んでいたチームも西口のピッチングとシンクロするように順位が上がっていった。そしてシーズン最終戦となった10月18日の日本ハム戦。CS進出のためには勝利が絶対条件となる一戦で8回2失点、11奪三振の好投で勝利投手に。CS進出を争うオリックスが敗れたことでシーズン3位が確定し、チームのCS進出が決まった。西口はこの年、11勝と05年以来の2ケタ勝利をマークし健在ぶりを大いにアピールした。
文=武山智史(たけやま・さとし)