『野球太郎』ライターの方々が注目選手のアマチュア時代を紹介していく形式に変わった『俺はあいつを知ってるぜっ!』
今回の担当ライターは東海地区を駆けまわる尾関雄一朗さんに書いていただきました!
田島慎二(東海学園大→中日)、山内壮馬(名城大→中日)、西勇輝(菰野高→オリックス)に引き続き紹介していただくのは、「広島のプリンス」から将来的には「球界のプリンス」になってもらいたい、あの若手選手です!
圧倒的なオーラだった。
さかのぼること今から4年前、ある日の夕方の出来事である。たくさんの人が行きかう名鉄名古屋駅の構内で、筆者の目の前を野球部員らしき高校生が通り過ぎたのだが、それはもう、ただならぬオーラを発していたのだ。筆者はすぐにピンときた。
「もしや中京大中京の堂林ではないか!?」と。
当時筆者はまだ野球取材をする立場になく、野球ファンとして堂林の存在こそ当然知っていたが、姿かたちだけで彼を認識できるほどではなかった。それでも、なぜか直感で堂林だとわかってしまった。
過ぎゆく身長183センチの背中を慌てて見やると、中京大中京の野球部バッグがかかっていて、案の定「堂林翔太」の刺繍が。中京大中京は寮がないので、おそらく帰宅途中だったのだと思う。電車通学の高校生などごまんといるが、雑踏の中でさえあれほどのオーラを放つ高校生には、これまでお目にかかったことがない。
逸材はオーラで一目でわかるというが、「それは本当なのだ」とこのとき実感した。
もちろん、街角で偶然見かけただけではなく、球場にも堂林を何度も見に行った。グラウンドでも光っていたのは言うまでもない。
ただ「投手・堂林」にはなかなか会えなかった。高校時代、堂林は背番号1をつけてエースとしても活躍していた(春夏の甲子園でマウンドに立っているから、覚えているファンも多いはず)。しかし筆者が観戦に足を運んだときにかぎって、運悪く登板しないケースが続いた。堂林のピッチングを見たいのに“お預け”状態が続き、歯がゆい思いをした。
2年秋は背中を痛めていたので、県大会では打撃に専念していた(東海大会では4戦全てで投げたが、筆者の観戦タイミングと合わず)。3年春の県大会は、左ひざ後十字じん帯損傷のケガにより試合そのものを欠場していて、6月下旬まで実戦から遠ざかった。3年夏の愛知大会でも見に行った日には登板機会がなく……。結局はじめて投げる姿を目にできたのは、夏の甲子園での舞台だった。
印象は“グニャリとした機械”というイメージだ。体が柔軟で腕もグニャリと折れ曲がり、コントロール重視でとにかく低めに集める。ストレートは140キロに満たず、スピードを欲しがって力むことが一切ない。派手さとは無縁。淡々と打たせてとる業は、まさに機械のようだった。
だがプロ球団のスカウトは「打者・堂林」にしか興味がなかったようだ。
「我々は最初からバッターとして評価していた。とにかく打撃が柔らかい。“金属バット打ち”ではないから、木製バットへの対応もすぐにできると思ったね」(某セ・リーグ球団スカウト)。
たしかに柔らかい打撃は一級品だった。ヒザが自在で、低めの球にも体が粘る。バットをコントロールするハンドリングもうまい。スイングで体のバネが弾けて、球も弾けるように飛んでいった。体が硬いと金属バットの反発に頼った打法になりがちだが、堂林はその対極にあった。
「これぞ堂林!」という試合が4打数4安打と打ちまくった夏の愛知大会5回戦。4安打のうち2本はセンターからライト方向への二塁打だった。堂林の場合、柵越えを連発するような“力自慢タイプ”ではなく、高校通算本塁打は13本とプロ候補にしては少なく、“自在性”で右方向へも二塁打を量産するバッティングが魅惑的だった。
高校3年夏の甲子園になると、バットが凶器に映るほどの破壊力も帯びていた。「暴れる」と表現したいほどにリストがしなり、三塁側アルプス席奥へ突き刺した物凄い当たりのファウルに、スタンドがどよめいていた。
プロ3年目の昨シーズンは、そんな豪快スイングで広島ファンのみならず、多くの野球ファンを沸かせてくれた。初の一軍出場を開幕スタメンでつかみとると、そのまま144試合全てに出場、14本塁打を記録した。
一方で両リーグ最多三振を喫するなど「一発か三振か」のきらいがあったのも事実。“実働”2年目となる今シーズンも、ここまで打率2割5分前後にとどまっている。
しかし高校時代の持ち味だった自在性が今の打撃に付加されてこれば、3割を打てる日も遠くはないだろう。中島裕之(西武→アスレチックス)だって、まずはフルスイングで売り出し、実働4年目に打率3割に乗せてきた。同じような成長を堂林には期待できる。
4月末時点で今年も全試合出場を継続している堂林。筆者は、高校時代の「投手・堂林」をなかなか見られず歯がゆかったと先述したが、最高峰のステージで今「野手・堂林」を毎日でも見ることができるというのは、野球ファンにとって、とても幸せなことだと思う。